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日蓮宗の人物旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年12月11日 (金)

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(?江戸時代)
(?新六人)
 
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== 一覧 ==
== 一覧 ==
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===親族===
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*妙日(1172-1258):日蓮の父。「聖父」「慈父」などと尊称される。俗名は貫名重忠。貫名重実の次男。遠江国貫名郷(静岡県袋井市広岡)を根拠として貫名家は井伊家の分家で、日蓮宗が「井桁に橘」紋を使うのは井伊家の紋に由来するという。源平合戦で平氏についたため1203年5月7日、幕府により安房に流され、漁師をしていたという。1258年2月14日死去。87歳。墓所は[[小湊妙蓮寺]]と貫名[[妙日寺]]にある。
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*妙蓮(1193-1267):日蓮の母。「聖母」「悲母」などと尊称される。俗名は梅菊。清原氏あるいは畠山氏という。1264年、日蓮の祈祷により一度蘇生し寿命を4年延ばしたという。1267年8月15日死去。74歳。墓所は小湊妙蓮寺。
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*貫名重政():日蓮の兄。
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*貫名重仲():日蓮の兄。
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*貫名重友():日蓮の弟。末裔が藤平家として存続するという。
===六老僧===
===六老僧===
*[[日昭]](1221-1323):[[日昭門流]](浜門流)の開祖。下総出身。[[比叡山]]で学び日蓮の学友であった。鎌倉に[[妙法華寺]]、[[越後・妙法寺|村田妙法寺]]を創建(両寺とものち移転)。不軽院、弁阿闍梨。
*[[日昭]](1221-1323):[[日昭門流]](浜門流)の開祖。下総出身。[[比叡山]]で学び日蓮の学友であった。鎌倉に[[妙法華寺]]、[[越後・妙法寺|村田妙法寺]]を創建(両寺とものち移転)。不軽院、弁阿闍梨。
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*[[日頂]](1252-1317):駿河出身。[[富木常忍]]の養子。下総[[下総・弘法寺|真間弘法寺]]を創建。義父と対立し、日興の下へ赴き[[北山本門寺]]学頭となった。伊予阿闍梨。
*[[日頂]](1252-1317):駿河出身。[[富木常忍]]の養子。下総[[下総・弘法寺|真間弘法寺]]を創建。義父と対立し、日興の下へ赴き[[北山本門寺]]学頭となった。伊予阿闍梨。
*[[日持]](1250-?):駿河出身。日蓮没後、影像を造り、[[池上本門寺]]に祀った。のち海外布教を志し、蝦夷を経て大陸に渡ったともいう。蓮華阿闍梨、甲斐公、本応院。
*[[日持]](1250-?):駿河出身。日蓮没後、影像を造り、[[池上本門寺]]に祀った。のち海外布教を志し、蝦夷を経て大陸に渡ったともいう。蓮華阿闍梨、甲斐公、本応院。
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===中老僧===
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(和漢三才図会)
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*日家():興津領主佐久間重貞の弟。寂日房。[[安房・誕生寺]]2世(事実上の開山)。[[上総・妙覚寺]]3世。
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*日源(?-1315):播磨法印。天台宗実相寺の学頭だった。1278年(弘安1年)、日蓮に帰依。[[実相寺]]、[[碑文谷・法華寺]]、[[江戸・法明寺]]を日蓮宗に改宗。[[谷中感応寺]]を創建。鷲山寺2世か?。1315年(正和4年)9月13日死去。智海。
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*日弁(1239-1311):下総[[鷲山寺]]開山。京都[[宥清寺]]開山。日蓮、日興の弟子。1239年(延応1年)生。元は駿河国富士郡熱原の天台宗[[駿河・瀧泉寺|瀧泉寺]]の僧侶だったが、同寺の下野房日秀と共に日興に帰依。1277年(建治3年)鷲山寺を創建。1279年(弘安2年)、熱原法難で瀧泉寺の行智が2人が農民を唆して刈田狼藉を行ったとして幕府に訴え、農民を鎌倉に連行した。日弁は身延に難を逃れた。のち日蓮の指示で下総の日常のもとに身を寄せた。日蓮の墓の輪番も行った。弘安年間、師の日興と対立したともいう。鮮明な折伏主義を取るようになった。1289年、久我城主の北条久時の帰依を受け[[上総・上行寺]]を創建。1300年(正安2年)、[[多古・妙興寺]]を創建。1308年(延慶1年)京都に宥清寺を創建。1311年(応長1年)閏6月26日、陸奥国伊具郡(宮城県角田市佐倉)で念仏者に暗殺され巡教([[日弁殉難地]])。遺骸を鷲山寺に運ぶ途中、茨城県高萩市赤浜で動かなくなったので、赤浜に埋葬した。[[日弁墓]]。日弁と弟子たちは鷲栖門徒と呼ばれた。乗観房。 越後阿闍梨。
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*日法(1259-1341):1259年(正元1年)生。俗名は徳永光長。甲斐国柴田氏、信濃国佐野氏とも。日蓮に師事し、甲斐・駿河を中心に布教。1279年(弘安2年)日蓮から曼荼羅本尊を授与される。1282年(弘安5年)の日蓮の葬儀に参列。日蓮墓の輪番を務めた。彫刻に優れ、1288年(正応1年)、日浄・日持の発願で日蓮御影像を造立し、[[池上本門寺]]に伝わる。その他、多くの寺院に日法作と伝わる像がある。1276年(建治2年)、日春と共に[[光長寺]]を創建。同年、甲斐勝沼の立正寺を創建した。1341年(興国2年/暦応4年)1月5日死去。83歳。円性房。和泉阿闍梨。
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*日伝(?-1335):[[甲斐・妙法寺]]開山。京都[[鞍馬山]]で学び、のち甲斐金胎寺で学ぶ。恵澄坊あるいは善智と称した。1274年(文永11年)、身延山に入る日蓮と法論し屈服する。面従腹背で従い、建治年間に日蓮の暗殺を図るか見破られて心服する。ここで日伝と改名した。金胎寺を改宗して妙法寺とした。身延山に[[志摩坊]]を開いた。1335年(建武2年)死去。肥前阿闍梨。
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*日位(1257-1318):[[駿河・本覚寺]]開山。駿河出身。1257年(正嘉1年)生。元は[[天台宗]]僧で日持に師事して改宗。天台宗海上寺を改宗して[[海長寺]]とし、日賢に譲った。1318年(文保2年)4月23日死去。62歳。治部卿。治部房。
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*[[日常]](1216-1299):中山法華経寺開山。中山門流の祖。法華寺(法華経寺の前身の一つ)を創建。元は武士で、御家人とも千葉家家臣ともいう。1299年(正安1年)3月20日死去。84歳。富木常忍。奥之院の近くに墓がある。
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*天目(生没年不詳):日蓮の弟子。[[下野・妙顕寺]]・[[天妙国寺]]・[[修多羅寺]](本門寺)の開山。1282年(弘安5年)日蓮から曼荼羅本尊を授与される。1292年(正応5年)、日蓮遺文の集成を提案するが受け入れられなかった。本迹勝劣義を唱えて1300年(正安2年)日昭らを批判し、遠ざけられたという。天目の系統を天目門徒という。日弁もこれに同調した。1308年(延慶1年)死去とも1337年(延元2年/建武4年)死去ともいう。美濃阿闍梨。上法房。浄法房。
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*日得(1189-1279):[[妙宣寺]]開山。1189年(文治5年)生。伝承では俗名を遠藤為盛という。佐渡に流された[[順徳上皇]]に仕えた。崩御後、妻千日尼と共に出家。1271年(文永8年)、佐渡に配流された日蓮に師事。1279年(弘安2年)3月21日死去。91歳。阿仏房。
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*日合(生没年不詳):[[下総・妙興寺]]開山。大受阿闍梨。
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*日賢(1243-1338):駿河出身。1243年(寛元1年)生。幼少から日蓮に師事。日蓮墓所の輪番を務めたか。日源の招きで[[碑文谷・法華寺]]、[[海長寺]]に住す。[[光長寺]]4世か。1338年(延元3年/暦応1年)3月17日死去。96歳。淡路阿闍梨。
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*日高(1257-1314):[[法華経寺]]2世。下総出身。大田乗明の子。1257年(正嘉1年)生。身延山で日蓮に師事。1299年(正安1年)、法華寺住職となり本妙寺(法華経寺の前身の一つ)を創建。1314年(正和3年)4月26日死去。58歳。53歳とも。帥阿闍梨。
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*日保(?-1340):興津領主佐久間重貞の子。日家の甥。興津妙覚寺2世。誕生寺3世。帥法師。1340年(興国1年/暦応3年)死去。
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*日実(生没年不詳):山本重安の子。1295年(永仁3年)沼津[[妙海寺]]を創建。
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*日礼(生没年不詳):不詳。
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*日祐(1298-1374):[[法華経寺]]3世。日高の弟子。1298年(永仁6年)生。千葉家出身。1314年(正和3年)法華経寺継承。一説に佐賀[[光勝寺]]を創建。1374年(文中3年/応安7年)5月19日死去。77歳。墓所は法華経寺。浄行院。大輔公。
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*日忍(生没年不詳):[[鷲山寺]]3世?か。
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*日門(生没年不詳):1295年(永仁3年)[[孝勝寺]]を創建。
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===鎌倉時代===
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===朗門九鳳===
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*[[富木常忍]](1216-1299):[[中山門流]]の開祖。[[法華経寺]]を創建。
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[[日朗]]の9人の高弟。「朗門九鳳」の呼称と人名は『統紀』による。九老僧ともいう。雑司が谷本納寺に九鳳の像を祀るというが現状は不詳。
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*日弁(1239-1311):駿河出身。元は[[天台宗]]僧だったが、日興に師事。[[鷲山寺]][[上行寺]]を創建。乗観房、越後阿闍梨。
+
*[[日像]](1269-1342):[[四条門流]]の開祖。[[妙顕寺]]開山。日朗の弟子で、日蓮の孫弟子にあたる。下総国の平賀忠晴の子。下総の出身。兄に日如尼、弟に日輪がいる。現在の[[本土寺]]の地で生まれたという。日蓮より「帝都弘通」の命を受け、京都に赴き、度重なる迫害を受けながら、妙顕寺に[[後醍醐天皇]]より勅願寺公認を得た。
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*日印(1264-1328):天台宗僧だったが、日朗に師事。[[青蓮華寺]]、鎌倉[[本勝寺]]を創建。
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*日輪(1272-1359):池上・比企谷3世。1272年(文永9年)生。下総国の平賀忠晴の子。日像・日如尼の弟という。現在の[[本土寺]]の地で生まれたという。1318年(文保2年)[[池上本門寺]][[鎌倉・妙本寺]]を継承。日像の京都進出を支援した。[[下野・妙勝寺]](不詳)、1335年(建武2年)木更津光明寺、1357年(正平12年/延文2年)[[大磯妙輪寺]]を創建。1359年(延文4年)死去。88歳。大経阿闍梨。治部公。
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*日善():大法寺開山。大法阿闍梨。
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*日伝(1277-1341):[[本土寺]]3世(事実上の開山)。元は日典という。越後出身。天台宗の僧侶だった。1309年(延慶2年)頃、曽谷氏が日朗を開山として本土寺を開いたが、実際には日伝が派遣された。1341年(暦応4年)3月6日死去。65歳。大円阿闍梨。本覚房。
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*日範():丹波常照寺開山。[[備中・妙本寺]]3世。大前阿闍梨。
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*日印(1264-1328):[[本成寺]](のち[[日陣門流]]の拠点となる)開山。1264年(文永1年)生。天台宗僧だったが、1294年(永仁2年)鎌倉で摩訶止観の講義を聞き日朗に師事。1297年(永仁5年)越後国蒲原郡に本成寺(青蓮華寺)を創建し、日朗を勧請開山とした。日蓮の[[松葉谷の草庵]]の跡地に[[本勝寺]](京都[[本圀寺]]および[[鎌倉・長勝寺]]の前身)を創建。1321年(元亨1年)頃から妙本寺系と別れたらしい。越後妙蓮寺を創建し1306年(徳治1年)「北陸道の総本山」としたという。1318年(文保2年)鎌倉殿中問答の法論で他宗を批難。妙蓮寺に隠棲。1328年(嘉暦3年)12月20日死去。75歳。摩訶一院。摩訶一阿闍梨。
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*日澄(1239-1326):池上[[本行寺]]開山。1239年(延応1年)生。日蓮没地(池上宗仲館跡)に本行寺を創建。弘安年間、[[熱田神宮]]の神職に招かれ尾張本遠寺を創建。1326年(嘉暦1年)死去。大乗坊。
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*日行():[[佐渡・本光寺]]開山。[[備中・妙本寺]]4世。[[大妙寺]]開山。妙意房。
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*朗慶():品川法蓮寺(旗岡八幡神社別当)を開く。荏原義宗の子。越中阿闍梨。
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日伝のかわりに日典を入れる場合もある。
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===本六人===
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[[日興]]の6人の高弟。
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*日華(1252-1334):大石寺寂日坊に住す。日蓮墓の輪番を務めた。[[讃岐本門寺]]、[[富士・妙蓮寺]]、[[甲斐・妙法寺]]などを創建。寂日房。
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*日目(1260-1333):大石寺蓮蔵坊に住す。[[大石寺]]を継承。1278年(弘安1年)[[陸奥・本源寺]](宮城県登米市中田町宝江新井田上待井)を、1287年(弘安10年)[[陸奥・妙教寺]](宮城県栗原市一迫柳目)を創建。蓮蔵房。
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*日秀():大石寺理境坊に住す。元は[[天台宗]][[駿河・瀧泉寺|瀧泉寺]]の僧侶。1279年(弘安2年)。日弁と共に熱原の法難を経験する。下野房。
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*日禅():大石寺南之坊に住す。日目の兄。
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*日仙():大石寺上蓮坊(百貫坊)に住す。日華から継承し[[讃岐本門寺]]の基盤を築く(一説に開山)。同寺に墓がある。
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*日乗():大石寺蓮仙坊(了性坊)に住す。
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===新六人===
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[[日興]]の6人の高弟。
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*日代(1297-1394):1297年(永仁5年)生。[[北山本門寺]]を継承できず、大石寺藤木坊に寓居した後、地頭大内安清を頼り1344年(興国5年/康永3年)[[西山本門寺]]を創建。1394年(応永1年)死去。蔵人阿闍梨。
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*日澄():
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*日道():大石寺4世。大石寺下之坊に住す。南条氏。日目を受け継ぎ陸奥国栗原郡三迫加賀野で布教。1333年(元弘3年/正慶2年)日目が天皇に諫暁し上京するため大石寺を出ると留守居役を拝命するが、日目が途上に死去すると、日目に随行し帰還した日郷と対立。親族である大檀越南条氏の支持を得て1336年(延元1年/建武3年)大石寺を継承した。
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*日妙(?-1365):[[北山本門寺]]を継承。1365年(正平20年/貞治4年)死去。
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*日郷(1293-1353):[[小泉久遠寺]]と[[安田妙本寺]]の開山。大石寺蓮蔵坊に住す。1293年(永仁1年)生。日目から大石寺を継承するが、大石寺留守居の日道と対立し退去せざるをえなくなり、1337年(延元2年/建武4年)小泉久遠寺を創建。また1335年(建武2年)安房国吉浜地頭の笹生重信の寄進を受け妙本寺を創建。1353年(正平8年/文和2年)死去。宰相阿闍梨。
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*日助():
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===会津六老僧===
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[[日什]]の高弟6人
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*日妙(?-1387):見付玄妙寺2世。日什より早く死去。
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*日義(?-1397):妙満寺2世。見付玄妙寺?。
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*日仁(?-1416):妙満寺3世。妙法寺2世。
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*日全():見付玄妙寺3世。
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*日金():
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*日穆():
===室町時代===
===室町時代===
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*[[日像]](1269-1342):[[四条門流]]の開祖。日朗の弟子で、日蓮の孫弟子にあたる。下総の出身。現在の[[本土寺]]の地で生まれたという。日蓮より「帝都弘通」の命を受け、京都に赴き、度重なる迫害を受けながら、[[妙顕寺]]に[[後醍醐天皇]]より勅願寺公認を得た。
 
*[[大覚]](1297-1364):日像の弟子。日蓮に'''大菩薩'''の号、日朗に'''菩薩'''の号、日像に'''菩薩'''の号を賜る。多くの寺院を建てる。妙実。
*[[大覚]](1297-1364):日像の弟子。日蓮に'''大菩薩'''の号、日朗に'''菩薩'''の号、日像に'''菩薩'''の号を賜る。多くの寺院を建てる。妙実。
*[[日静]](1298-1369):[[六条門流]]の開祖。[[本圀寺]]を創建。妙龍院。
*[[日静]](1298-1369):[[六条門流]]の開祖。[[本圀寺]]を創建。妙龍院。

2020年12月11日 (金) 時点における最新版

日蓮宗諸師旧跡。開祖は日蓮(1222-1282)。


目次

一覧

親族

  • 妙日(1172-1258):日蓮の父。「聖父」「慈父」などと尊称される。俗名は貫名重忠。貫名重実の次男。遠江国貫名郷(静岡県袋井市広岡)を根拠として貫名家は井伊家の分家で、日蓮宗が「井桁に橘」紋を使うのは井伊家の紋に由来するという。源平合戦で平氏についたため1203年5月7日、幕府により安房に流され、漁師をしていたという。1258年2月14日死去。87歳。墓所は小湊妙蓮寺と貫名妙日寺にある。
  • 妙蓮(1193-1267):日蓮の母。「聖母」「悲母」などと尊称される。俗名は梅菊。清原氏あるいは畠山氏という。1264年、日蓮の祈祷により一度蘇生し寿命を4年延ばしたという。1267年8月15日死去。74歳。墓所は小湊妙蓮寺。
  • 貫名重政():日蓮の兄。
  • 貫名重仲():日蓮の兄。
  • 貫名重友():日蓮の弟。末裔が藤平家として存続するという。

六老僧

中老僧

(和漢三才図会)

  • 日家():興津領主佐久間重貞の弟。寂日房。安房・誕生寺2世(事実上の開山)。上総・妙覚寺3世。
  • 日源(?-1315):播磨法印。天台宗実相寺の学頭だった。1278年(弘安1年)、日蓮に帰依。実相寺碑文谷・法華寺江戸・法明寺を日蓮宗に改宗。谷中感応寺を創建。鷲山寺2世か?。1315年(正和4年)9月13日死去。智海。
  • 日弁(1239-1311):下総鷲山寺開山。京都宥清寺開山。日蓮、日興の弟子。1239年(延応1年)生。元は駿河国富士郡熱原の天台宗瀧泉寺の僧侶だったが、同寺の下野房日秀と共に日興に帰依。1277年(建治3年)鷲山寺を創建。1279年(弘安2年)、熱原法難で瀧泉寺の行智が2人が農民を唆して刈田狼藉を行ったとして幕府に訴え、農民を鎌倉に連行した。日弁は身延に難を逃れた。のち日蓮の指示で下総の日常のもとに身を寄せた。日蓮の墓の輪番も行った。弘安年間、師の日興と対立したともいう。鮮明な折伏主義を取るようになった。1289年、久我城主の北条久時の帰依を受け上総・上行寺を創建。1300年(正安2年)、多古・妙興寺を創建。1308年(延慶1年)京都に宥清寺を創建。1311年(応長1年)閏6月26日、陸奥国伊具郡(宮城県角田市佐倉)で念仏者に暗殺され巡教(日弁殉難地)。遺骸を鷲山寺に運ぶ途中、茨城県高萩市赤浜で動かなくなったので、赤浜に埋葬した。日弁墓。日弁と弟子たちは鷲栖門徒と呼ばれた。乗観房。 越後阿闍梨。
  • 日法(1259-1341):1259年(正元1年)生。俗名は徳永光長。甲斐国柴田氏、信濃国佐野氏とも。日蓮に師事し、甲斐・駿河を中心に布教。1279年(弘安2年)日蓮から曼荼羅本尊を授与される。1282年(弘安5年)の日蓮の葬儀に参列。日蓮墓の輪番を務めた。彫刻に優れ、1288年(正応1年)、日浄・日持の発願で日蓮御影像を造立し、池上本門寺に伝わる。その他、多くの寺院に日法作と伝わる像がある。1276年(建治2年)、日春と共に光長寺を創建。同年、甲斐勝沼の立正寺を創建した。1341年(興国2年/暦応4年)1月5日死去。83歳。円性房。和泉阿闍梨。
  • 日伝(?-1335):甲斐・妙法寺開山。京都鞍馬山で学び、のち甲斐金胎寺で学ぶ。恵澄坊あるいは善智と称した。1274年(文永11年)、身延山に入る日蓮と法論し屈服する。面従腹背で従い、建治年間に日蓮の暗殺を図るか見破られて心服する。ここで日伝と改名した。金胎寺を改宗して妙法寺とした。身延山に志摩坊を開いた。1335年(建武2年)死去。肥前阿闍梨。
  • 日位(1257-1318):駿河・本覚寺開山。駿河出身。1257年(正嘉1年)生。元は天台宗僧で日持に師事して改宗。天台宗海上寺を改宗して海長寺とし、日賢に譲った。1318年(文保2年)4月23日死去。62歳。治部卿。治部房。
  • 日常(1216-1299):中山法華経寺開山。中山門流の祖。法華寺(法華経寺の前身の一つ)を創建。元は武士で、御家人とも千葉家家臣ともいう。1299年(正安1年)3月20日死去。84歳。富木常忍。奥之院の近くに墓がある。
  • 天目(生没年不詳):日蓮の弟子。下野・妙顕寺天妙国寺修多羅寺(本門寺)の開山。1282年(弘安5年)日蓮から曼荼羅本尊を授与される。1292年(正応5年)、日蓮遺文の集成を提案するが受け入れられなかった。本迹勝劣義を唱えて1300年(正安2年)日昭らを批判し、遠ざけられたという。天目の系統を天目門徒という。日弁もこれに同調した。1308年(延慶1年)死去とも1337年(延元2年/建武4年)死去ともいう。美濃阿闍梨。上法房。浄法房。
  • 日得(1189-1279):妙宣寺開山。1189年(文治5年)生。伝承では俗名を遠藤為盛という。佐渡に流された順徳上皇に仕えた。崩御後、妻千日尼と共に出家。1271年(文永8年)、佐渡に配流された日蓮に師事。1279年(弘安2年)3月21日死去。91歳。阿仏房。
  • 日合(生没年不詳):下総・妙興寺開山。大受阿闍梨。
  • 日賢(1243-1338):駿河出身。1243年(寛元1年)生。幼少から日蓮に師事。日蓮墓所の輪番を務めたか。日源の招きで碑文谷・法華寺海長寺に住す。光長寺4世か。1338年(延元3年/暦応1年)3月17日死去。96歳。淡路阿闍梨。
  • 日高(1257-1314):法華経寺2世。下総出身。大田乗明の子。1257年(正嘉1年)生。身延山で日蓮に師事。1299年(正安1年)、法華寺住職となり本妙寺(法華経寺の前身の一つ)を創建。1314年(正和3年)4月26日死去。58歳。53歳とも。帥阿闍梨。
  • 日保(?-1340):興津領主佐久間重貞の子。日家の甥。興津妙覚寺2世。誕生寺3世。帥法師。1340年(興国1年/暦応3年)死去。
  • 日実(生没年不詳):山本重安の子。1295年(永仁3年)沼津妙海寺を創建。
  • 日礼(生没年不詳):不詳。
  • 日祐(1298-1374):法華経寺3世。日高の弟子。1298年(永仁6年)生。千葉家出身。1314年(正和3年)法華経寺継承。一説に佐賀光勝寺を創建。1374年(文中3年/応安7年)5月19日死去。77歳。墓所は法華経寺。浄行院。大輔公。
  • 日忍(生没年不詳):鷲山寺3世?か。
  • 日門(生没年不詳):1295年(永仁3年)孝勝寺を創建。

朗門九鳳

日朗の9人の高弟。「朗門九鳳」の呼称と人名は『統紀』による。九老僧ともいう。雑司が谷本納寺に九鳳の像を祀るというが現状は不詳。

  • 日像(1269-1342):四条門流の開祖。妙顕寺開山。日朗の弟子で、日蓮の孫弟子にあたる。下総国の平賀忠晴の子。下総の出身。兄に日如尼、弟に日輪がいる。現在の本土寺の地で生まれたという。日蓮より「帝都弘通」の命を受け、京都に赴き、度重なる迫害を受けながら、妙顕寺に後醍醐天皇より勅願寺公認を得た。
  • 日輪(1272-1359):池上・比企谷3世。1272年(文永9年)生。下総国の平賀忠晴の子。日像・日如尼の弟という。現在の本土寺の地で生まれたという。1318年(文保2年)池上本門寺鎌倉・妙本寺を継承。日像の京都進出を支援した。下野・妙勝寺(不詳)、1335年(建武2年)木更津光明寺、1357年(正平12年/延文2年)大磯妙輪寺を創建。1359年(延文4年)死去。88歳。大経阿闍梨。治部公。
  • 日善():大法寺開山。大法阿闍梨。
  • 日伝(1277-1341):本土寺3世(事実上の開山)。元は日典という。越後出身。天台宗の僧侶だった。1309年(延慶2年)頃、曽谷氏が日朗を開山として本土寺を開いたが、実際には日伝が派遣された。1341年(暦応4年)3月6日死去。65歳。大円阿闍梨。本覚房。
  • 日範():丹波常照寺開山。備中・妙本寺3世。大前阿闍梨。
  • 日印(1264-1328):本成寺(のち日陣門流の拠点となる)開山。1264年(文永1年)生。天台宗僧だったが、1294年(永仁2年)鎌倉で摩訶止観の講義を聞き日朗に師事。1297年(永仁5年)越後国蒲原郡に本成寺(青蓮華寺)を創建し、日朗を勧請開山とした。日蓮の松葉谷の草庵の跡地に本勝寺(京都本圀寺および鎌倉・長勝寺の前身)を創建。1321年(元亨1年)頃から妙本寺系と別れたらしい。越後妙蓮寺を創建し1306年(徳治1年)「北陸道の総本山」としたという。1318年(文保2年)鎌倉殿中問答の法論で他宗を批難。妙蓮寺に隠棲。1328年(嘉暦3年)12月20日死去。75歳。摩訶一院。摩訶一阿闍梨。
  • 日澄(1239-1326):池上本行寺開山。1239年(延応1年)生。日蓮没地(池上宗仲館跡)に本行寺を創建。弘安年間、熱田神宮の神職に招かれ尾張本遠寺を創建。1326年(嘉暦1年)死去。大乗坊。
  • 日行():佐渡・本光寺開山。備中・妙本寺4世。大妙寺開山。妙意房。
  • 朗慶():品川法蓮寺(旗岡八幡神社別当)を開く。荏原義宗の子。越中阿闍梨。

日伝のかわりに日典を入れる場合もある。

本六人

日興の6人の高弟。

  • 日華(1252-1334):大石寺寂日坊に住す。日蓮墓の輪番を務めた。讃岐本門寺富士・妙蓮寺甲斐・妙法寺などを創建。寂日房。
  • 日目(1260-1333):大石寺蓮蔵坊に住す。大石寺を継承。1278年(弘安1年)陸奥・本源寺(宮城県登米市中田町宝江新井田上待井)を、1287年(弘安10年)陸奥・妙教寺(宮城県栗原市一迫柳目)を創建。蓮蔵房。
  • 日秀():大石寺理境坊に住す。元は天台宗瀧泉寺の僧侶。1279年(弘安2年)。日弁と共に熱原の法難を経験する。下野房。
  • 日禅():大石寺南之坊に住す。日目の兄。
  • 日仙():大石寺上蓮坊(百貫坊)に住す。日華から継承し讃岐本門寺の基盤を築く(一説に開山)。同寺に墓がある。
  • 日乗():大石寺蓮仙坊(了性坊)に住す。

新六人

日興の6人の高弟。

  • 日代(1297-1394):1297年(永仁5年)生。北山本門寺を継承できず、大石寺藤木坊に寓居した後、地頭大内安清を頼り1344年(興国5年/康永3年)西山本門寺を創建。1394年(応永1年)死去。蔵人阿闍梨。
  • 日澄():
  • 日道():大石寺4世。大石寺下之坊に住す。南条氏。日目を受け継ぎ陸奥国栗原郡三迫加賀野で布教。1333年(元弘3年/正慶2年)日目が天皇に諫暁し上京するため大石寺を出ると留守居役を拝命するが、日目が途上に死去すると、日目に随行し帰還した日郷と対立。親族である大檀越南条氏の支持を得て1336年(延元1年/建武3年)大石寺を継承した。
  • 日妙(?-1365):北山本門寺を継承。1365年(正平20年/貞治4年)死去。
  • 日郷(1293-1353):小泉久遠寺安田妙本寺の開山。大石寺蓮蔵坊に住す。1293年(永仁1年)生。日目から大石寺を継承するが、大石寺留守居の日道と対立し退去せざるをえなくなり、1337年(延元2年/建武4年)小泉久遠寺を創建。また1335年(建武2年)安房国吉浜地頭の笹生重信の寄進を受け妙本寺を創建。1353年(正平8年/文和2年)死去。宰相阿闍梨。
  • 日助():

会津六老僧

日什の高弟6人

  • 日妙(?-1387):見付玄妙寺2世。日什より早く死去。
  • 日義(?-1397):妙満寺2世。見付玄妙寺?。
  • 日仁(?-1416):妙満寺3世。妙法寺2世。
  • 日全():見付玄妙寺3世。
  • 日金():
  • 日穆():

室町時代

  • 大覚(1297-1364):日像の弟子。日蓮に大菩薩の号、日朗に菩薩の号、日像に菩薩の号を賜る。多くの寺院を建てる。妙実。
  • 日静(1298-1369):六条門流の開祖。本圀寺を創建。妙龍院。
  • 日祐(1298-1374):中山門流の僧。法華経寺3世となり伽藍整備。
  • 日什(1314-1392):日什門流の開祖。会津出身。妙満寺を創建。玄妙阿闍梨。
  • 日陣(1339-1419):日陣門流の開祖。越後出身。本圀寺日静に師事。本成寺を継承。日伝と対立し本圀寺を離れ本禅寺を創建。円光房、門一阿闍梨。
  • 日隆(1384-1464):日隆門流の開祖。日霽に師事。日隆聖人。
  • 日親(1407-1488):室町時代の中山門流の僧侶。上総出身。法華経寺日英に師事。京都に本法寺創建。折伏主義の激しい布教姿勢を取った。光勝寺を拠点に九州布教に尽力。足利義教に諌言して熱した鍋をかぶせられる拷問を受けた。久遠成院、鍋かぶり日親。
  • 日朝(1422-1500):久遠寺11世。伽藍を整備し、中興と呼ばれる。
  • 日真(1444-1528):日真門流の開祖。妙本寺日具に師事するが、勝劣を唱えて独立。京都に本隆寺、若狭に本境寺、越前に本興寺を創建した。常不軽院、大経房。
  • 日辰(1508-1576):要法寺を創建。諸山融和に尽力。
  • 朝山日乗(?-1577)
  • 日珖(1532-1598):堺妙国寺の開山。頂妙寺3世。
  • 日承王:本能寺を中興した日蓮宗僧。伏見宮邦高親王の王子。同寺に治定墓がある。

江戸時代

日蓮宗不受不施派#人物旧跡も参照)

  • 日経(1560-1620):日什門流の僧。妙満寺27世。江戸城で行われた浄土宗との宗論で敗れたとされ、耳鼻を削がれた。慶長法難。
  • 日乾(1560-1635):本満寺13世、久遠寺21世。鷹峰檀林を創建。身池対論に挑み勝利。
  • 算砂(1558-1623):囲碁の家元の本因坊家の祖。寂光寺本因坊に住す。日海。
  • 日奥(1565-1630):不受布施派の開祖。京都妙覚寺19世。豊臣秀吉の千僧供養の出仕を拒否。徳川家康が対馬に配流。安国院、仏性院。
  • 日樹(1574-1631):不受布施派の僧侶。備中出身。池上本門寺16世、鎌倉妙本寺16世。身池対論で敗れ、信濃飯田に配流。
  • 元政(1623-1668):法華律(草山律)の僧侶。京都出身。彦根藩士。妙顕寺日豊に師事。瑞光寺を創建。日政、不可思議、称心庵。
  • 日講(1626-1698):不受布施派の講門流の開祖。佐土原に配流。安国院。佐土原に墓所。
  • 増穂残口(1655-1742):
  • 日潮(1674-1748):久遠寺36世。多数の門弟を育て、一大学派となる。

近現代

  • 長松日扇(1817-1890):本門仏立宗の開祖。第1世講有。京都宥清寺を拠点として活動。清風。
  • 藤井日達(1885-1985):日蓮主義教団日本山妙法寺の設立者。熊本県出身。
  • 井上日召(1886-1967):日蓮主義テロ団体血盟団の設立者。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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