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皇室の祭祀

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月14日 (土)

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==概要==
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皇室の祭祀。[[宮家の祭祀]]、[[各国の王皇室]]も参照。
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皇室の祭祀。[[宮家の祭祀]]も参照。
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近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、[[伊勢神宮|神宮]]祭祀、[[宮中三殿]]の祭祀、[[勅祭社]]の祭祀、[[陵墓]]祭祀、旧[[官国幣社]]・旧[[指定護国神社]]臨時祭への奉幣、[[延暦寺]]と[[東寺]]での[[勅会]]執行、一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。
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近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、[[伊勢神宮|神宮]]祭祀、[[宮中三殿]]の祭祀、[[勅祭社]]の祭祀、[[陵墓]]祭祀、旧[[官国幣社]]・旧[[指定護国神社]]への奉幣、[[延暦寺]]と[[東寺]]での[[勅会]]執行、[[掌典職]]の存在、[[宮内庁京都事務所]]の存在、[[門跡寺院]]や[[泉涌寺]]など一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。また戦後は戦没者慰霊や災害犠牲者への慰霊が広義の意味で皇室の「祭祀」の中で大きな比重を占めるようになっている。
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== 歴代天皇 ==
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== 天皇・皇族==
*[[歴代天皇旧跡]]
*[[歴代天皇旧跡]]
*[[歴代天皇宮跡]]
*[[歴代天皇宮跡]]
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*[[歴代皇后旧跡]]
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*[[皇族奉斎神社]]
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== 主要皇族 ==
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===神話時代===
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*[[彦五瀬命]]:[[神武天皇]]の兄
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*[[神八井耳命]]
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*健磐龍命:[[阿蘇信仰]]
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*彦坐王:
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**[[伊波乃西神社]]:[[彦坐王墓]]に隣接。
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**[[当麻都比古神社]]:当麻勾君の祖だからか。
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*四道将軍
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**[[大彦命]]:
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**[[武渟川別命]]:
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**[[吉備津彦命]]:
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**[[丹波道主命]]:
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*豊城入彦命:[[崇神天皇]]皇子。垂仁天皇の兄。上毛野君氏、下毛野君氏、垂水公氏、大網公氏の始祖。[[上野・総社神社]]を創建。関東地方に伝承が多いが、近江にも末裔と称する一族がおり、奉斎神社がある。奉斎神社は[[宇都宮二荒山神社]]、各地の[[赤城神社]]、[[近戸神社]]、[[大荒比古神社]]、[[大荒比古鞆結神社]]、[[垂水神社]]、[[阿見・阿弥神社]]、[[桑原神社]]、[[下新川神社]]、[[嶽山箒根神社]]など。墓の伝承地・考証地としては総社二子山古墳、前二子古墳、丸山古墳などがある。二荒山神社の背後の古墳も祭神の墳墓だという(鎌田純一氏)。豊城命、豊木入日子命とも。
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*五十日足彦命:[[垂仁天皇]]皇子。五十日帯日子王。奉斎神社は多いが、五十嵐神社以外は関係性は薄いようだ。
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**[[五十嵐神社]]:新潟県三条市飯田宮浦。官社。県社。
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**[[伊加奈志神社]]:愛媛県今治市五十嵐。官社。伊予国総社。村社。
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**[[石田神社]]:京都府八幡市岩田茶屋ノ前。官社。村社。
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**[[滓上神社]]:石川県小松市中海町。官社。郷社。
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**[[布勢神社]]:富山県魚津市布施爪。官社。村社。
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**[[五十日足彦命墓]]:新潟県三条市飯田宮浦。
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*国乳別皇子:[[景行天皇]]皇子。奉斎神社は[[宇和津彦神社]]と[[弓頭神社]]。墓は治定外[[国乳別皇子墓]]。
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*[[倭姫命]]:
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*[[神功皇后]]:
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*息長日子王:神功皇后の兄弟。[[阿宗神社]]の配祀神「阿宗親王」のこととされる。
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*[[菟道稚郎子]]:
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*[[ヤマトタケル]]:
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===飛鳥時代===
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*[[聖徳太子]](574-622):仏教思想を国政に本格的に導入した政治家。[[用明天皇]]皇子。[[法隆寺]]など多数の寺院を創建。[[叡福寺]]に治定[[聖徳太子墓]]。
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*麻呂子皇子:用明天皇皇子。当麻氏の祖。[[当麻寺]]を創建。[[当麻都比古神社]]祭神。
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*[[蜂子皇子]](生没年不詳):[[出羽三山]]の伝説的な開祖。[[修験]]僧。[[崇峻天皇]]皇子。父帝が暗殺され、出羽国に逃れたとされる。治定[[蜂子皇子墓]]。蜂子神社祭神。諡号は照見大菩薩。
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*有間皇子(640-658):孝徳天皇の皇子。紀伊国藤白で刑死。[[有間皇子神社]]が[[藤白神社]]内にある。治定外[[有間皇子墓]]。
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*表米親王(生没年不詳):孝徳天皇皇子とされる伝説的な人物。[[日下部氏]]、[[朝倉氏]]の祖という。[[赤淵神社]]や[[竹田・表米神社]]、[[久世田・俵米神社]]の祭神。陵墓は久世田俵米神社にある。
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*高市皇子(654-696):[[天武天皇]]皇子。壬申の乱で活躍。[[東小高神社]]祭神。墓所不明。
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*草壁皇子(662-689):天武天皇皇子。皇太子のまま死去。諡号は岡宮御宇天皇。菩提寺は[[粟原寺]](廃絶)。[[宮道天神社]]祭神。治定[[岡宮天皇陵]]。
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*[[大津皇子]](663-686):天武天皇皇子。二上山に治定[[大津皇子墓]]。[[薬師寺若宮社]]祭神。
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*志貴皇子(?-716):天智天皇皇子。諡号は春日宮御宇天皇。通称は田原天皇。[[奈良豆比古神社]]祭神。治定[[春日宮天皇陵]]。
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*[[舎人親王]](676-735):天武天皇皇子。『日本書紀』を編纂。諡号は崇道尽敬皇帝。[[藤森神社]]祭神。墓所不明。[[黄金塚陵墓参考地]]が候補地。
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*[[山背大兄王]](?-643):聖徳太子の王子。墓所不明。
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*長屋王(684?-729):天武天皇の孫で高市皇子の王子。「長屋王の変」で死去。奈良県奈良市に[[長屋王神社]]がある。治定[[長屋王墓]]。
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*吉備内親王(?-729):長屋王の妃。「長屋王の変」で死去。[[上御霊神社]]の祭神という説がある。治定[[吉備内親王墓]]。
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===奈良時代===
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*[[光明皇后]](701-760):[[東大寺]]大仏の造営を提案した政治家。[[聖武天皇]]の皇后。[[藤原氏]]出身。治定[[光明皇后陵]]。
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*[[井上内親王]](717-775):怨霊神。[[光仁天皇]]の皇后。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として[[霊安寺]]が建てられた。[[五条・御霊神社]]祭神。治定[[井上内親王陵]]。
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*高野新笠(?-789):光仁天皇の妃。[[桓武天皇]]、[[崇道天皇]]の母。治定[[高野新笠陵]]。
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*[[開成皇子]](724-781):[[勝尾寺]]を開いた伝説的な僧侶。光仁天皇皇子。治定[[開成皇子墓]]。
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*[[崇道天皇]](750-785):古代の代表的な怨霊神。光仁天皇皇子。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。[[上御霊神社]]祭神。治定[[崇道天皇陵]]。早良親王。
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*他戸親王(761-775):怨霊神。光仁天皇皇子。母は井上内親王。皇太子となるが、皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として[[霊安寺]]が建てられた。[[五条・御霊神社]]祭神。治定[[他戸親王墓]]。
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===平安時代===
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*[[伊予親王]](?-807):怨霊神。[[桓武天皇]]皇子。[[御霊神社]]祭神。治定[[伊予親王墓]]。
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*万多親王(788-830):学者。桓武天皇皇子。『新撰姓氏録』を編纂。墓所不明。
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*有員親王(生没年不詳):伝説的な神職。桓武天皇皇子。[[諏訪大社]]大祝を務めた神(みわ)氏(諏訪家)の開祖という。ただし神氏は[[諏訪大神]]の子孫ともいう。治定外[[有員親王墓]]。
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*[[阿保親王]](792-842):[[平城天皇]]皇子。治定[[阿保親王墓]]が菩提寺の[[親王寺]]の近くにある。[[阿保天神社]]、[[在原神社]]などの祭神。
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*[[真如法親王]](799-865?):多くの寺を開いた真言宗の入唐僧。平城天皇皇子。[[空海]]の弟子。[[超昇寺]]開山。入唐にインドに向かうが、羅越国(シンガポール周辺)で虎に襲われて死去したという。俗名は高岳親王。マレーシアのジョホールバル日本人墓地に治定外[[ジョホールバル・真如親王塔|真如親王塔]]がある。
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*遍昭(遍照)(816-890):天台僧。[[円仁]]、[[円珍]]に師事。桓武天皇皇孫で良岑安世の子。皇族ではないが、墓は皇族扱いを受けている。[[元慶寺]]開山。花山僧正、僧正遍昭。治定[[遍照墓]]。
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*恒寂入道親王(825-884):[[大覚寺]]開山の真言僧。[[淳和天皇]]皇子。俗名は恒貞親王。[[入道塚陵墓参考地]]が墓の伝承地。
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*[[人康親王]](831-872):仁明天皇皇子。盲人自治組織の当道座の祖とされる。雨夜尊(あまよのみこと)とも呼ばれる。山科[[徳林庵]]に供養塔がある。京都[[清聚庵]]や江戸[[一ツ目弁財天]]でも報恩法要の積塔会が行われていた。
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*[[聖宝]](832-909):[[醍醐寺]]や[[東大寺東南院]]を開いた真言僧。葛声王の王子で、[[天智天皇]]6世孫という。俗名は恒蔭王。後世、[[修験道]][[当山派]]の開祖とされる。諡号は理源大師。鳳閣寺に治定外[[聖宝墓]]。また[[沓塚陵墓参考地]]が墓の候補地。
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*[[惟喬親王]](844-897):木地師の開祖とされる[[文徳天皇]]の皇子。通称は小野宮。僧名は素覚。[[惟喬神社]]、[[大皇器地祖神社]]など多くの奉斎神社がある。治定[[惟喬親王墓]]。
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*貞元親王(?-909):清和天皇の皇子。真田家の始祖とされ[[信濃・白鳥神社]]祭神。
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*貞保親王(870-924):清和天皇の第四皇子。真田家の始祖とされ白鳥神社祭神。
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*[[高望王]](生没年不詳):桓武[[平氏]]の祖。平高望。桓武天皇の皇孫で葛原親王の王子。墓所不明。
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*斉世親王(886-927):[[菅原道真]]の娘婿。[[仁和寺]]の僧。宇多天皇皇子。真寂法親王。墓所不明。[[北野天満宮]]内の地主神社の相殿に祀られている。
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*光遠親王(生没年不詳):[[宗像大社]]初代大宮司。宇多天皇皇子。宗像清氏。
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*[[経基王]](?-961):清和[[源氏]]の祖先神となった武将。源経基。[[清和天皇]]の皇孫で、貞純親王の王子。通称は六孫王。[[六孫王神社]]に祀られ、現在も神社の背後に墓があるという。
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*[[空也]](903-972):日本の[[浄土教]]の先駆者となった僧。皇族の出ともいうが不詳。市聖、市聖人。[[六波羅蜜寺]]を創建。近くの西光寺に治定外[[空也墓]]がある。
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*寛忠(906-977):[[真言]]僧。敦固親王の王子で宇多天皇皇孫。親王の子として初の僧綱となる。[[禅林寺]]住職。寛忠僧正。池上僧都。墓所不明。
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*寛朝(916-998):[[成田山新勝寺]]を開いた真言僧。敦実親王の子で宇多天皇皇孫。[[真言宗広沢流]]の祖。[[遍照寺]]を創建。仁和寺別当。[[西寺]]別当。[[東寺]]長者。[[東大寺]]別当。東密声明の中興。広沢大僧正、遍照寺僧正、広沢御房。墓所不明。
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*明観(953-1021):[[醍醐寺]]座主。佐忠王([[醍醐天皇]]皇子)の王子。明観僧正。墓所不明。
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*覚源(1000-1065):醍醐寺座主。[[花山天皇]]皇子。覚源僧正。通称は宮僧正。墓所不明。
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*深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。[[金剛峰寺]]座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。
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*性信法親王(1005-1085):真言僧。[[三条天皇]]皇子。仁和寺2世。[[空海]]の再来と呼ばれる。治定外[[性信法親王墓]]。
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*覚法法親王(1092-1153):真言僧。[[白河天皇]]皇子。[[仁和御流]]の祖。[[高野山総持院]]の裏山に治定[[覚法親王墓]]がある。
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*聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。[[華蔵院流]]の祖。[[仁和寺華蔵院]]に住す。長尾宮、華蔵院宮。 墓所不明。
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*顕広王(1095-1180):神職。[[白川伯王家]]の祖。[[花山天皇]]の五世孫。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
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*[[以仁王]](1151-1180):治承寿永の乱を起こした政治家。[[後白河天皇]]の皇子。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の[[光明山寺]]の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。[[高倉神社]]祭神。治定[[以仁王墓]]。
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*頼威親王(生没年不詳):後白河天皇の第三皇子と伝える。雲上公(くものうえのこう)。雲上佐一郎。雲上佐市郎。[[河内神社]]祭神。三面川沿いに雲上公伝説が分布し、サケ漁と関連するとも。
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*[[北陸宮]](1165-1230):以仁王の王子。僧侶。諱は不明。以仁王の死後、出家して北陸に逃れるが、還俗して[[源義仲]]に奉じられる。木曽宮。富山県下新川郡朝日町に治定外[[北陸宮墓]]。
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*道尊(1175-1228):[[蓮華光院門跡]]を創建した真言僧。[[安井御流]]の祖。以仁王の王子。父の挙兵により出家させられた。東大寺別当、東寺長者、仁和寺別当。通称は安井宮御室、安井宮。墓所不明。
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===鎌倉時代===
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*覚仁親王(1198-1266):[[園城寺]]長吏。[[天台]]僧。[[後鳥羽天皇]]皇子。頼仁親王の兄。[[後嵯峨上皇]]の[[熊野]]行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟と共に[[五流尊瀧院]]を中興したとされる。桜井宮。 治定外[[覚仁親王墓]]。
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*頼仁親王(1201-1264):[[児島修験]]開祖・[[五流尊瀧院]]中興となった天台[[修験]]僧。後鳥羽天皇皇子。[[承久の乱]]に関わった罪で備前児島に流され、兄と共に五流尊瀧院を中興。現在まで親王の子孫の宮家家が歴代住職を務めているとされている。冷泉宮、児島宮。治定[[頼仁親王墓]]。
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*[[善性房]](生没年不詳):伝説的な[[浄土真宗]]僧。[[親鸞]]高弟[[二十四輩]]の第9番。後鳥羽天皇の皇子。俗名は正懐親王。周観大覚。鸞英。[[常陸・大覚寺]]、[[浄興寺]]を創建。
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*善俊(1214-1282):伝説的な[[浄土真宗]]僧。親鸞の弟子。後鳥羽天皇皇子とも皇孫(善性房の子)ともいう。飛騨に[[照蓮寺]]を創建。嘉念坊。[[堀端・照蓮寺]]に治定外墓所。火葬場跡もある。
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*[[寒巌義尹]](1217-1300):[[曹洞宗]][[寒巌派]]の開祖。後鳥羽天皇皇子([[順徳天皇]]皇子とも)。[[肥後・如来寺]]に治定外[[寒巌義尹墓]]。
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*弘仁太子:土御門天皇皇子という。豊橋長慶寺開山と伝承される。弘仁太子墓(治定外)がある。
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*信念(1219-1286):[[佐渡・勝興寺]]を開いた伝説的な[[浄土真宗]]僧。親鸞の弟子。[[順徳天皇]]皇子。彦成王、成尊、善空房。佐渡に[[西三川陵墓参考地]]がある。
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*宗尊親王(1242-1274):鎌倉幕府将軍6代。後嵯峨天皇第一皇子。亀山天皇の兄。[[京都・福田寺]]を創建したと伝える。明鏡寺の観音堂は親王の念持仏を祀るといい、その鎮守[[伊岐津志・南宮神社]]は親王を祀るという。墓所は不明。
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*王阿(生没年不詳):[[時宗]][[御影堂派]]の開祖。[[滋賀・新善光寺|新善光寺]]開山。[[後嵯峨天皇]]皇子。俗名不明。墓所不明。
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*高峰顕日(1241-1316):[[五山派]]の臨済宗僧。[[後嵯峨天皇]]皇子。[[円爾弁円]]や[[無学祖元]]に師事。弟子に[[夢窓疎石]]ら。[[雲巌寺]]に治定[[顕日王墓]]があり、[[建長寺正統院]]に治定分骨塔がある。
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*惟康親王(1264-1326):鎌倉幕府将軍7代。宗尊親王王子。帰洛後、嵯峨で出家したという。親鸞御影を奉じて鎌倉に逃げた唯善に寄進し[[常敬寺]]を創建したとされる。日蓮に命じて書かせた「日の丸旗曼荼羅」が押上最教寺にある。墓所は不明。
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*鐘山道栄():宗尊親王王女。[[禅智院]]開山。
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*仁澄():惟康親王王子。日光山の初の皇族座主。
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*久明親王(1276-1328):鎌倉幕府将軍8代。後深草天皇第六皇子。帰洛後出家。法名は素円。日朗を庇護し本圀寺の土地を寄進したという。墓所は不明。神武寺やぐら群に伝承地がある。
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*守邦親王(1301-1333):鎌倉幕府将軍9代。久明親王王子。覚如に本願寺留守職の令旨を授けた(本願寺の史料上の初出)。鎌倉幕府の滅亡後、将軍職を退き出家したが、まもなく死去。墓所は不明。
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*梅皇子:後深草天皇皇子とも、守邦親王王子ともいう。埼玉県小川町大塚の八幡神社の祭神とする説がある。
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===南北朝時代===
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[[南朝人物旧跡]]も参照。
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*恒性法親王(1305-1333):真言宗僧。[[後醍醐天皇]]皇子。父帝が隠岐に流されるとともに越中配流となる。富山県高岡市に治定[[恒性王墓]]。大覚寺宮。越中宮。
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*源光(生没年不詳):浄土真宗僧。後醍醐天皇皇子。吉野[[光遍寺]]を創建。 墓所不明。
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*[[護良親王]](1308-1335):天台僧。後醍醐天皇皇子。天台座主。[[鎌倉宮]]に祀られ、近くに治定[[護良親王墓]]がある。
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*尊澄法親王([[宗良親王]])(1311-1385?):[[妙法院門跡]]24世。後醍醐天皇皇子。天台座主。[[井伊谷宮]]祭神。治定[[宗良親王墓]]。
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*[[尊良親王]](1311-1337):後醍醐天皇皇子。[[金崎宮]]祭神。京都[[禅林寺]]に近くに治定[[尊良親王墓]]。
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*[[無文元選]](1323-1390):臨済宗僧。後醍醐天皇皇子。[[遠江・方広寺]]開山。同寺に治定[[元選王墓]]。
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*[[恒良親王]](1324-1338):後醍醐天皇皇子。[[金崎宮]]祭神。墓所不明。
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*[[懐良親王]](1329-1383):後醍醐天皇皇子。[[八代宮]]祭神。[[懐良親王墓]]。
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*進子内親王(生没年不詳):[[光照院門跡]]を創建した尼僧。[[後伏見天皇]]皇女。自本覚公。墓所不明。
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*貞煕僧全(敬法)(?-1400):[[清浄華院]]8世。[[伏見天皇]]皇孫。尊煕親王の王子。[[神蔵寺]]に住した。墓所不明。
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*尊観法親王(1349-1400):[[清浄光寺]]遊行上人12世。[[時宗]]中興と言われる。[[亀山天皇]]の孫とされ、時宗が南朝門流と称す根拠とされる。 [[長門・専念寺]]に治定[[尊観親王墓]]がある。
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-
*海門承朝(1374-1443):[[相国寺]]の僧。[[長慶天皇]]皇子。父帝の菩提寺の[[慶寿院]]を創建。同院に治定墓がある。
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*真阿(1385-1440):浄土宗僧。[[後亀山天皇]]皇子。[[誓願寺]]38世の恵空道禅に師事。[[一念寺]]を再興。[[十念寺]]を創建。義恩とも。遺言により水葬にされ、その場所は[[真阿ケ淵]]と呼ばれている。十念寺に治定外墓。
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===室町時代===
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*小川宮(1404-1425):[[後小松天皇]]皇子。父の怒りを買うがのち許された。夭折。出羽に下った伝説があり、[[黒川春日神社]]に治定外の墓所伝承地がある。
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-
*恒敦親王(?-1422):後南朝小倉宮の祖。[[後亀山天皇]]皇子。墓所不明。
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-
*[[尊秀王]](生没年不詳):後南朝小倉宮の当主。自天王、北山宮とも呼ばれる。[[北山神社]]祭神。1443年(嘉吉3年)、禁闕の変を起こす。[[瀧川寺]]に治定[[北山宮墓]]がある。
+
-
*[[一休宗純]](1394-1481):[[臨済宗]][[応燈関派]]の僧。[[後小松天皇]]の落胤と言われる。[[大徳寺]]47世。風狂を演じる。狂雲子。瞎驢。夢閨。周建。 [[酬恩庵]]に治定[[宗純王墓]]がある。
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-
*[[真智]](?-1585):[[浄土真宗]]僧。[[後柏原天皇]]皇子。常盤井宮。[[専修寺]]に入るが、応真と後継争いで敗れる。[[熊坂・専修寺]]を創建。現在は専修寺歴代から除歴されている。熊坂の寺院跡に治定外墓。
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*見子内親王(生没年不詳):[[後光厳天皇]]皇女。[[三時知恩寺]]を創建。墓所不明。
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*慈光():浄土真宗僧。[[錦織寺]]8世(歴代に含めない場合もあるようだ)。伏見宮邦高親王の王子。墓所不明。
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*日承王:[[本能寺]]を中興した[[日蓮宗]]僧。[[伏見宮]]邦高親王の王子。同寺に治定墓がある。
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===江戸時代===
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*良純法親王(1603-1669):[[後陽成天皇]]皇子。 [[知恩院宮]]初代。
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*文智女王(1619-1697):後水尾天皇皇女。[[円照寺門跡]]を創建。[[円照寺宮]]。
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*守澄法親王(1634-1680):初代[[輪王寺宮]]。
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*大江磐代(1744-1812):光格天皇の生母。閑院宮典仁親王(慶光天皇)の側室。[[伯耆・大江神社]]祭神。
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*円遵(1746-1819):[[有栖川宮家]]出身の浄土真宗僧。[[霊元天皇]]皇曾孫。[[専修寺]]18世。
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===明治時代===
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*有栖川宮幟仁親王(1812-1886):[[有栖川宮]]8代当主。幕末に[[孝明天皇]]の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
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*久邇宮朝彦親王(1824-1891):[[青蓮院門跡]]。天台宗僧、神職。伏見宮邦家親王の第4王子。興福寺一乗院門跡。天台座主。還俗して神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。尊応法親王、尊融法親王。
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*久我誓円(1828-1910):[[善光寺大本願]]住職。浄土宗尼。伏見宮邦家親王の第3王女。久我通明養女。京都の[[華頂宮]]邸跡に[[得浄明院]]を創建。
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*伏見宮文秀女王(1844-1926):[[円照寺門跡]]。[[臨済宗]]尼。皇族最後の僧侶。伏見宮邦家親王の第7王女。
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*[[能久親王]](1847-1895):最後の[[輪王寺宮]]。天台宗僧。東武皇帝。邦家親王の第9王子。[[台湾神宮]]祭神。
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*渋谷家教(清棲家教)(1862-1923):[[仏光寺]]26世。浄土真宗僧。伏見宮邦家親王の第15王子。のち還俗。
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*久邇宮邦彦王(1873-1929):皇典講究所総裁。神宮臨時祭主。朝彦親王の王子。今上天皇の外祖父。
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== 王権と関わる祭祀 ==
== 王権と関わる祭祀 ==
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[https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Publication/PDF/000/kiyo069a001.pdf]
[https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Publication/PDF/000/kiyo069a001.pdf]
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==その他==
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[[勅使門]]
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==資料==
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*『本朝皇胤紹運録』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539418][https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00006552][http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-018502][https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/nu02/nu02_00757_0001/index.html][http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/200019708/]
[[Category:系譜記事]]
[[Category:系譜記事]]

2023年10月14日 (土) 時点における最新版

皇室の祭祀。宮家の祭祀各国の王皇室も参照。

近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、神宮祭祀、宮中三殿の祭祀、勅祭社の祭祀、陵墓祭祀、旧官国幣社・旧指定護国神社への奉幣、延暦寺東寺での勅会執行、掌典職の存在、宮内庁京都事務所の存在、門跡寺院泉涌寺など一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。また戦後は戦没者慰霊や災害犠牲者への慰霊が広義の意味で皇室の「祭祀」の中で大きな比重を占めるようになっている。

目次

天皇・皇族

王権と関わる祭祀

皇霊祭祀

神社祭祀

仏教祭祀

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その他

勅使門

資料

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%A5%AD%E7%A5%80」より作成

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