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紫衣勅許寺院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2021年7月20日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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紫衣下賜寺院は、天皇から歴代住職が紫衣を着用することを許可された寺院。多くの国家仏教制度と同じく、中国から輸入されたもの。基本的には僧侶個人に与えるものだが、その地位に付随することが多くなった。 本来は朝廷の権限だが、江戸時代には徳川幕府により厳しく統制された。そのためか近世に新たに許可された寺院は徳川家ゆかりの浄土宗寺院が多いようだ。宗派によって位置付けに差があり、浄土宗では多数の寺院が認められたが、近世の曹洞宗では永平寺総持寺の住職のみ認められた。青蓮院門跡が各宗派の紫衣を管轄したともいうが不詳。

目次

歴史

中国

  • 則天武后が法朗ら9人に下賜。紫衣の初例。

日本

  • 735年:聖武天皇、玄昉に紫袈裟を下賜。紫袈裟の初例。
  • 延喜式で御斎会の法服を講師は浅紫綾と定める
  • 1141年8月:鳥羽上皇、青蓮院行玄に紫の法衣(紫袍)を賜う。紫袍の初例。


  • 1613年:徳川幕府、「勅許紫衣法度」を制定。
  • 1615年:徳川幕府、「禁中並公家諸法度」を制定。
  • 1627年:紫衣事件。
  • 1629年:紫衣事件で沢庵ら配流。

一覧

  • 立政寺:1391年代々紫衣着用許可を得た。
  • 佐太来迎寺:後村上天皇から常紫衣。戦乱で綸旨を焼失したため、1706年、再度常紫衣の綸旨。
  • 三河・大林寺:宝永7年(1710)7月26日、常紫衣綸旨を賜った。
  • 三鈷寺:1362年(正平17年/貞治1年)10月3日、後光厳天皇の綸旨で「浄土西山流根本地」とされ、住職は代々紫衣を着用し参内すると定められた。その綸旨が現存する。
  • 熱田・誓願寺
  • 久遠寺
  • 国泰寺
  • 肥後・本妙寺:熊本県熊本市西区花園。日蓮宗。1605年(慶長10年)、後陽成天皇の勅願寺となり1606年(慶長11年)永代紫衣を許された(日本歴史地名大系)。
  • 大聖寺
  • 高源寺:一華碩由の時代に末代紫衣の宣旨(寺蔵文書)。
  • 瑞龍寺門跡
  • 霊源寺:常紫衣
  • 浅草誓願寺:1698年(元禄11年)用誉龍岳国龍は常紫衣を許可された。
  • 英勝寺:1643年、常紫衣の宣旨が下った。
  • 三河・妙心寺:元禄9年、常紫衣の綸旨を参内して賜る(甲子夜話)。
  • 飯沼・弘経寺:1634年、常紫衣の綸旨。
  • 興聖寺:東山天皇が1701年に常紫衣とする(坊目誌)
  • 粟生光明寺:1655年常紫衣。
  • 松応寺:寛永11年3月27日、常紫衣の綸旨
  • 増上寺:慶長13年常紫衣の綸旨
  • 常陸・常福寺:1677年、徳川光圀の奏達で常紫衣。
  • 善導寺:元和9年、常紫衣の綸旨(寛延記)。
  • 大光院:1622年、常紫衣。
  • 伝通院:1615年に常紫衣の綸旨を得た。
  • 池上本門寺:1725年12月3日、中御門天皇から永代紫衣綸旨(旧蔵文書)。
  • 讃岐・法然寺:1775年、永代紫衣(和漢三才図会)。
  • 永平寺:1539年10月7日、後奈良天皇の綸旨で紫衣の出世道場だと再確認。
  • 総持寺:後醍醐天皇より紫衣。
  • 慶光院:代々紫衣
  • 善光寺大本願]]:代々紫衣。
  • 当道座検校:紫衣を着用したという。
  • 鎌倉光明寺:1495年、後土御門天皇から代々紫衣の綸旨(文書)。
  • 勝願寺:1606年8月23日、後陽成天皇より紫衣綸旨(寺蔵文書)。以後代々。


未確認

常紫衣、または一代紫衣と思われるが未確認


琉球

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%B4%AB%E8%A1%A3%E5%8B%85%E8%A8%B1%E5%AF%BA%E9%99%A2」より作成

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