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浄土宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。墓所は、[[京都・安楽寺]]や[[住蓮坊古墳]]にある。 | *住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。墓所は、[[京都・安楽寺]]や[[住蓮坊古墳]]にある。 | ||
*遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。墓所は住蓮と同じ。 | *遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。墓所は住蓮と同じ。 | ||
- | * | + | *行空(生没年不詳):承元の法難で破門となる。法本房。 |
*[[信空]](1146-1228):'''白川門徒'''の祖。[[叡空]]に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。[[金戒光明寺]]の開山。法蓮房。 | *[[信空]](1146-1228):'''白川門徒'''の祖。[[叡空]]に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。[[金戒光明寺]]の開山。法蓮房。 | ||
*[[隆寛]](1148-1227):多念義[[長楽寺流]]の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。 | *[[隆寛]](1148-1227):多念義[[長楽寺流]]の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。 | ||
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*'''[[親鸞]]'''(1173-1262):承元の法難で流罪。[[浄土真宗]]の開祖となる。墓は大谷祖廟、大谷本廟など。 | *'''[[親鸞]]'''(1173-1262):承元の法難で流罪。[[浄土真宗]]の開祖となる。墓は大谷祖廟、大谷本廟など。 | ||
*禅勝房(1174-1258):[[天台宗]]僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の[[遠江・蓮華寺]]を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。墓所は蓮華寺近くにある。 | *禅勝房(1174-1258):[[天台宗]]僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の[[遠江・蓮華寺]]を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。墓所は蓮華寺近くにある。 | ||
- | *[[湛空]](1176-1253):'''嵯峨門徒'''の祖。[[二尊院]] | + | *[[湛空]](1176-1253):'''嵯峨門徒'''の祖。[[二尊院]]に住す。法然の伝記を編纂。正信房。墓所は二尊院にある。 |
*'''[[証空]]'''(1177-1247):[[西山流]]の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。[[当麻曼荼羅]]を重視した。善恵房。墓所は[[三鈷寺]]にある。 | *'''[[証空]]'''(1177-1247):[[西山流]]の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。[[当麻曼荼羅]]を重視した。善恵房。墓所は[[三鈷寺]]にある。 | ||
- | *[[源智]](1183-1239):[[知恩院]]と[[知恩寺]]の基礎を築いた。'''紫野門徒''' | + | *[[源智]](1183-1239):[[知恩院]]と[[知恩寺]]の基礎を築いた。'''紫野門徒'''の祖。源平合戦で戦死した平師盛の遺児という。法然から『一枚起請文』を授けられる。勢観房。墓所は知恩寺にある。 |
- | *[[長西]](1184-1266):[[九品寺派]]の祖。京都[[九品寺]] | + | *[[長西]](1184-1266):[[九品寺派]]の祖。京都[[九品寺]]を開く。覚明房。墓所不明。 |
===鎌倉時代=== | ===鎌倉時代=== |
2015年10月16日 (金) 時点における版
浄土宗の諸師旧跡。際立った事績を持つ浄土宗僧侶の旧跡。開祖法然(1133-1212)については法然旧跡を参照。
目次 |
一覧
初期
- 蔵俊(1104-1180):法相宗僧。興福寺権別当。京都誓願寺の伝承では、同寺21世になったあと、法然に帰依し、寺を譲ったとされる。教明房。墓所不明。
- 重源(1121-1206):東大寺を復興した真言宗僧。法然から浄土教を学ぶ。各地に念仏別所を建てる。俊乗房、南無阿弥陀仏。墓所は
奈良の三笠霊苑。
- 顕真(1130-1192):天台宗僧。隠棲していた大原に法然を招き、大原談義を開き、疑義を質した。その後は法然を支持した。天台座主。墓所不明。
- 円照(1139-1177):藤原通憲の子。法然は彼から専修念仏の教えを得る。法然は西山広谷の房(のちの山城・光明寺)を譲られ、また彼と出会えたことが生涯の喜びと語る。遊蓮房。墓所不明。
- 熊谷直実(1141-1207):鎌倉時代の武将。源平合戦で平敦盛を打ったことを機にのちに出家。山城・光明寺など重要寺院の開山とされる。蓮生房、法力房。各地に墓所・供養塔がある。
- 明遍(1142-1224):真言宗の浄土教僧。藤原通憲の子。佐渡に配流の後、東大寺で三論宗を学ぶ。のち南都浄土教の聖地であった光明山寺に隠棲。の法然に師事したともされる。高野山蓮華三昧院を創建。のち高野聖の祖とされる。高野山と京都を往復したときの旧跡に明遍寺がある。墓は高野山にある。
- 九条兼実(1149-1207):九条家の祖。関白失脚後に出家。法然の主著『選択本願念仏集』は彼のために書かれた。墓所は東福寺にある。
- 住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。墓所は、京都・安楽寺や住蓮坊古墳にある。
- 遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。墓所は住蓮と同じ。
- 行空(生没年不詳):承元の法難で破門となる。法本房。
- 信空(1146-1228):白川門徒の祖。叡空に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。金戒光明寺の開山。法蓮房。
- 隆寛(1148-1227):多念義長楽寺流の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。
- 感西(1153-1200):書に優れ法然の代筆などしたという。大谷の房舎中の房を譲られたというが、死去。真観房。
- 明達勇道(1154-1217):陸奥開教の開拓者。金光房。
- 弁長(1162-1238):事実上の主流である鎮西流の開祖。二祖。善導寺を創建。九州などに多数の寺院を創建。聖光房。墓所は善導寺。
- 幸西(1163-1247):一念義の開祖。承元の法難で阿波配流の処分が下るが、慈円の取りなしで助かる。嘉禄の法難で壱岐配流。成覚房。
- 宇都宮頼綱(1172-1259):鎌倉時代の武将。証空に師事。嘉禄の法難で法然遺骸奉遷に尽力。実信房蓮生。
- 親鸞(1173-1262):承元の法難で流罪。浄土真宗の開祖となる。墓は大谷祖廟、大谷本廟など。
- 禅勝房(1174-1258):天台宗僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の遠江・蓮華寺を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。墓所は蓮華寺近くにある。
- 湛空(1176-1253):嵯峨門徒の祖。二尊院に住す。法然の伝記を編纂。正信房。墓所は二尊院にある。
- 証空(1177-1247):西山流の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。当麻曼荼羅を重視した。善恵房。墓所は三鈷寺にある。
- 源智(1183-1239):知恩院と知恩寺の基礎を築いた。紫野門徒の祖。源平合戦で戦死した平師盛の遺児という。法然から『一枚起請文』を授けられる。勢観房。墓所は知恩寺にある。
- 長西(1184-1266):九品寺派の祖。京都九品寺を開く。覚明房。墓所不明。
鎌倉時代
- 信恵(1205-1281):紫野門徒。源智の弟子。知恩寺3世。白旗流の良忠と教義を照らし合わせたら違いがなかったので、紫野門徒は白旗流に帰入したと伝わるが後世の作為と言われる。蓮寂房。
- 唱阿性心(1163-1247):藤田派の開祖。良忠の弟子。水沼上人、秩父上人。
- 静遍(1166-1224):真言宗僧であるが、『選択集』を読み、法然に帰依。平頼盛の子。源頼朝の帰依を受けたという。禅林寺、高野山往生院に住す。禅林寺法印、大納言法印、心円房、真蓮房。
- 道観証慧(1195-1264):西山嵯峨流の開祖。証空の弟子。浄金剛院を開く。
- 観鏡証入(1196-1245):西山東山流の開祖。証空の弟子。阿弥陀院を開く。寂静房。
- 良忠(1199-1287):鎮西白旗流の開祖。弁長の弟子で三祖。浄土宗関東布教の拠点となる鎌倉・光明寺を開く。記主禅師。然阿。
- 聖達(生没年不詳):時宗開祖一遍の師で、証空の弟子。肥前・知恩寺を開く。
- 法興浄音(1202-1271):西山西谷流の開祖。証空の弟子。京都・光明寺の開祖で、禅林寺を浄土宗に改宗したとされる。後嵯峨天皇、亀山天皇の帰依を受けた。
- 円空立信(1213-1284):西山深草流の開祖。証空の弟子。深草に真宗院を創建。後深草天皇の帰依を受けた。極楽房。
- 遊観(生没年不詳):証空の弟子か。三鈷寺に住す。
- 礼阿然空(?-1297):鎮西一条流の開祖。良忠の弟子。仁和寺西谷に法光明院を開く。
- 慈心良空(?-1297):鎮西木幡流の開祖。良忠の弟子。宇治木幡の尊勝寺を創建。多くの著作があったと言われるが、現存しない。
- 一遍(1234-1289):時宗開祖。聖達の弟子で、証空の孫弟子に当たる。
- 承空(生没年不詳):西山派の僧。宇都宮泰綱の子で頼綱(実信房蓮生)の孫に当たる。遊観の弟子で、証空の孫弟子とされる。康空示導の師。三鈷寺に住す。玄観房。
- 了音(生没年未詳):西山六角流の開祖。法興浄音の弟子。京都大宮六角に住んでいたという。
- 一向俊聖(1239-1287):一向流の踊り念仏の開祖。良忠の弟子。大隅八幡宮で不断念仏を行ったときに託宣を受け、宇佐八幡宮で踊り念仏を修した。蓮華寺を復興。
- 如円真空(?-1292):円空立信に師事。真宗院、竜護殿に住す。
- 顕意道教(1239-1304):聖達に師事した後、円空立信に師事。竹林寺に住す。真宗院を復興。
- 尊観良弁(1239-1316):鎮西名越流の開祖。良忠の弟子。鎌倉名越に鎌倉・善導寺を創建。いくつかの著作があったが不詳。定蓮社。
- 道光了慧(1243-1330):鎮西三条派の開祖。京都三条の悟真寺を開き、弁長や良忠の伝記を編纂した。伏見天皇に円頓戒を授けたという。望西楼、蓮華堂、広済和尚。
- 良暁寂慧(1251-1328):鎮西白旗流では四祖とされる。良忠の子ともいう。多数の著作を執筆し、名越流の尊観と正統を争った。白旗上人。
室町時代
- 向阿是心(1265-1345):鎮西一条流発展の基礎を築く。礼阿然空の弟子で、清浄華院を拠点に皇室と接近し、当時の浄土宗各流派で最大の勢力となった。証賢。
- 康空示導(1286-1346):西山本山流の開祖。証空の墓所である三鈷寺の玄観房承空に師事し、継承する。後醍醐天皇の戒師となったという。
- 澄円(1290-1371):元に渡り、廬山東林寺に学ぶ。帰国後、堺に旭蓮社大阿弥陀経寺を創建。
- 聖冏(1341-1420):白旗流では七祖とされる。五重相伝を定めた。伝通院を創建。酉蓮社了誉、三日月上人。
- 良栄理本(1346-1428):鎮西名越流の五祖。流派の拠点となる円通寺を創建。
- 聖聡(1366-1440):増上寺開山。聖冏に師事。鎮西白旗流では八祖。大蓮社酉誉。
- 隆尭(1369-1449):清浄華院の定玄に学ぶ。一条流発展の拠点となる浄厳院を創建。浄厳坊。
- 教空龍芸(??):法蔵寺を開き、三河で深草流が発展する礎を築く。
- 真阿(1385-1440):後亀山天皇皇子。誓願寺38世恵空道禅に師事。一念寺を再興。十念寺を創建。義恩。
- 等煕(1396-1462):清浄華院住職。称光天皇の病気を直したという。浄土宗で初の国師号「仏立慧照国師」を贈られた。
- 祐崇(1426-1509):鎌倉光明寺住職。後土御門天皇の帰依を受けて、勅願寺となった。紫衣着用を許され、十夜法要を創始した。如空、長蓮社観誉。
- 愚底(1445-1516):知恩院23世。松平親忠(徳川家康の祖先)の帰依を受け、大樹寺を創建。真蓮社勢誉。
- 存牛(1469-1549):松平親忠(徳川家康の祖先)の子。知恩院25世となり復興。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。
近世
- 称念(1513-1554):捨世派の開祖。江戸天智庵、京都一心院を創建。三蓮社縁誉。
- 清玉(生没年不詳):織田信長の帰依を受けた。阿弥陀寺を創建。東大寺本願。生誉。
- 以八存易(1539-1614):袋中の兄。捨世派の僧。誕生寺を復興。宮島に安芸・光明院を創建した。行蓮社信誉。
- 貞安(1539-1615):安土法論に参加。大雲院を創建。敬蓮社聖誉。
- 幡随意(1542-1615):知恩寺33世。藤田流から白旗流に帰参。幡随院を創建。キリシタンの糾明を担当。演蓮社智誉向阿。
- 存応(1544-1620):増上寺中興、12世。徳川家康の帰依を受け、増上寺を徳川家菩提寺とした。関東十八檀林制度を確立。慈昌、貞蓮社源誉、普光観智国師。
- 弾誓(1552-1613):念仏行者。捨世派の僧とみなされる。天台宗僧ともみなされる。佐渡で阿弥陀如来から仏頭を授与されたという。古知谷・阿弥陀寺など多くの寺院を開く。
- 袋中(1552-1639) 名越派の僧。琉球に渡る。
- 果空俊弌():禅林寺37世。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。
- 霊巌(1554-1641):霊巌寺を創建。知恩院32世となり、火災に見舞われた伽藍を復興。檀蓮社雄誉。
- 策伝(1554-1642):誓願寺55世。落語の祖と言われる。『醒睡笑』を記す。安楽庵。
- 呑龍(1556-1623):藤田流から白旗流に帰参。上野大光院などを創建。赤子を養育し、子育て呑龍と呼ばれた。信仰の対象となっている。源蓮社然誉大阿。
- 尊照(1562-1620):知恩院中興、29世。徳川家康の帰依を受ける。「関東浄土宗法度」制定に関わり、浄土宗の総本山としての地位を固めた。行蓮社満誉。
- 廓山(1572-1625):増上寺13世。存応に師事。伝通院の中興。浄土宗法度の草案を作成。江戸城で日蓮宗日経と宗論。定蓮社正誉、一実。
- 大空恵雲(?-1699):光明寺35世だったが、『円頓戒補助儀』論争で追放され、除歴される。
- 祐天(1637-1718):増上寺36世。盛んに念仏布教を行う。徳川綱吉や家宣の帰依を受けた。鎌倉大仏を復興。愚心、明蓮社顕誉。祐天寺に祀られる。
- 忍徴信阿(1645-1711):浄土宗興律派(浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で西明寺を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、神鳳寺での修行を臨んだが、真言宗寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の山城・正法寺に滞在。知恩院に晋山した万無に招かれ、京都の法然院を創建した。宣誉。
- 性憲慈空(1646-1719):西山派の興律派の僧。真言律宗の慈忍慧猛に師事し、菩薩戒を受ける。深草の真宗院を復興。
- 霊潭性澂(1676-1734):興律派の僧。肥前出身。藤原氏。忍徴信阿に師事。律は真言律宗の安養寺戒山慧堅に学ぶ。京都に聖臨庵(照臨庵)を開く。
- 信培湛慧(1676-1747):興律派の僧。京都出身。谷口氏。華開院息庵のもとで出家。霊潭性澂に戒律を学ぶ。京都長時院を再興。澄蓮社忍誉。
- 無能(1683-1719):鎮西名越流、捨世派の僧。31歳で男根をたち、常坐不臥行を続けた。興蓮社良崇。
- 敬首祖海(1683-1748):興律派の僧。増上寺で出家。忍徴信阿に師事。江戸の正受院を律院とする。浄土律院規則を定めた初めともいう。下谷寿永寺に埋葬され、同寺も律院となる。
- 忍海(1696-1761):興律派の僧。最初、増上寺鉄船に師事し、のち敬首祖海に学ぶ。増上寺宝松院に住す。宝蓮社曇誉。
- 関通(1696-1770):興律派の僧。敬首祖海から菩薩戒を受ける。祐天にも学ぶ。多数の寺院を創建。一蓮社向誉。
- 普寂徳門(1707-1781):興律派の学僧。真宗大谷派の寺院出身であったが、西山派を学び、のち興律派の長時院、長泉院に住した。
- 徳本(1758-1818):念仏行者。江戸一行院を創建。各地を教化して巡歴した。名蓮社号誉称阿。
- 播隆(1782-1840):槍ケ岳開山。浄土宗には珍しい山岳信仰の行者。
- 唯念(1791-1880):念仏行者。富士山麓に滝沢寺を開く。特異な書体の名号碑を各地に建てた。