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松尾大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月10日 (火)
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2023年10月10日 (火) 時点における最新版
松尾大社 まつのお たいしゃ | |
概要 | 松尾神社の総本社。 |
奉斎 | 大山咋命、中津島姫命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 京都府京都市西京区嵐山宮町3 |
所在地(旧国郡) | 山城国葛野郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正一位勲二等・二十二社・朱印地拝領神社・官幣大社・別表神社 |
関連記事 | 松尾大社関連旧跡・弁才天厳島信仰・公祭・古事記神話登場神社 |
松尾大社(まつのお・たいしゃ)は、京都府京都市西京区にある松尾信仰の総本社。秦氏の神。酒の神。官社(式内社)・名神大社・正一位勲二等・二十二社・朱印地拝領神社・官幣大社・別表神社。松尾大社関連旧跡・弁才天信仰・宗像厳島信仰・公祭・古事記神話登場神社も参照。
目次 |
歴史
- 701年(大宝1年): 秦忌寸都里が中都大神を迎えて社殿を造営。娘の知満留女を奉仕させたという(本朝文集)。
- 712年(和銅5年):『古事記』編纂。松尾大社のことに触れる。
- 718年(養老2年): 秦忌寸都駕布が祝となる(秦氏本系帳)。
- 730年(天平2年):「大社」の称を許される
- 784年(延暦3年)11月20日:桓武天皇が長岡京遷都を松尾大社に奉告。従五位下とする(続日本紀)。
- 847年(承和14年)7月26日:従三位。(続日本後紀)。
- 852年(仁寿2年)5月8日:正二位(文徳実録)。
- 貞観年間:松尾祭始まる。
- 866年(貞観8年)11月20日:正一位(三代実録)。
- 1004年(寛弘1年)10月14日:一条天皇行幸。
- 1285年(弘安8年):大火災で社殿焼失。
- 1397年(応永4年):本殿再建。
- 1423年(応永30年):本殿再建。
- 1542年(天文11年):現在の本殿を造営。1423年(応永30年)の古材も一部使われている。
- 1615年(元和1年)7月:徳川幕府、1078石を安堵。
- 1871年(明治4年):官幣大社。
- 1950年(昭和25年):松尾大社と改称。
- 1975年(昭和50年):重森三玲作庭。
- 2018年(平成30年)6月9日:本殿遷座祭。翌日奉幣祭。(2016/11/25仮殿遷座祭)
境内
エリア | 名称 | 社格など | 所在地 | 概要 |
---|---|---|---|---|
本社 | 大宮 | 本社 | 境内 | 松尾七社の一つ。本社。 |
本社 | 磐座 | その他 | 境内 | 降臨の地。 |
本社 | 三宮社 | 末社 | 境内 | 松尾七社の一つ。祭神は玉依姫命。四大神社と相殿。 |
本社 | 四大神社 | 末社 | 境内 | 松尾七社の一つ。祭神は春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神。秦氏の祖霊ともいう。三宮社と相殿。四之社。 |
本社 | 衣手社 | 末社 | 境内 | 松尾七社の一つ。祭神は羽山戸神。 |
本社 | 一挙社 | 末社 | 境内 | 祭神は一挙神。一挙神はどのような神か不詳。 |
本社 | 金刀比羅社 | 末社 | 境内 | 祭神は大物主神。 |
本社 | 祖霊社 | 末社 | 境内 | 祖霊社。 |
本社 | 滝御前社 | 末社 | 境内 | 霊亀の滝の前にある。 |
本社 | 磐座遥拝所 | その他 | 境内 | 磐座の遥拝所 |
本社 | 伊勢神宮遥拝所 | その他 | 境内 | 伊勢神宮の遥拝所 |
月読 | 月読神社 | 摂社 | 京都府京都市西京区松室山添町 | 松尾七社の一つ。祭神は月読命。官社。名神大社。 |
月読 | 御船社 | 末社 | 京都府京都市西京区松室山添町 | 月読神社内。祭神は天鳥舟命。松尾祭の最初に船渡御の安全を願う。 |
月読 | 聖徳太子社 | 末社? | 京都府京都市西京区松室山添町 | 月読神社内。祭神は聖徳太子。 |
月読 | 月延石 | その他 | 京都府京都市西京区松室山添町 | 月読神社内。 |
櫟谷 | 櫟谷神社 | 摂社 | 京都府京都市西京区嵐山中尾下町 | 松尾七社の一つ。祭神は奥津島姫命。官社。1877年(明治10年)、松尾大社摂社となる。 |
櫟谷 | 宗像神社 | 摂社 | 京都府京都市西京区嵐山中尾下町 | 松尾七社の一つ。祭神は市杵島姫命。1877年(明治10年)、松尾大社摂社となる。嵐山弁財天社とも。 |
その他 | 松尾祭河原斎場 | その他 | 京都府京都市右京区西京極河原町裏町 | 船渡御を終えた神輿と唐櫃が集まる河川敷。団子神饌を供える。桂大橋の東岸。 |
川勝寺 | 川勝寺御旅所 | 御旅所 | 京都府京都市右京区西京極北裏町 | |
川勝寺 | 川勝寺三宮神社 | 末社 | 京都府京都市右京区西京極北裏町 | 川勝寺御旅所内。祭神は玉依姫命、大山祇神、酒解神。1953年(昭和28年)、松尾大社境外末社となる。 |
川勝寺 | 道祖神社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極北裏町 | 川勝寺御旅所内。祭神は猿田彦神、羽山戸神、別雷神、大山咋神、応神天皇。 |
衣手 | 衣手御旅所 | 御旅所 | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | |
衣手 | 郡衣手神社 | 末社 | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は羽山戸神と玉依姫命。「衣手の森」の故地で、松尾大社境内衣手社の元の鎮座地ともいう。玉依姫命を祀る「三宮社」が直接の起源で、1875年(明治8年)に松尾大社境内衣手社から羽山戸神を分霊合祀。1978年(昭和53年)に「衣手神社」と改称して松尾大社境外末社となった。本殿は1679年(延宝7年)、拝殿は1852年(嘉永5年)の造営。衣手神社。 |
衣手 | 野宮社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は天照大御神。 |
衣手 | 八王子社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は素戔嗚尊御子神。 |
衣手 | 諏訪社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は建御名方神。 |
衣手 | 幸神社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は道祖神。 |
衣手 | 山王社 | 末社? | 京都府京都市右京区西京極東衣手町 | 衣手御旅所内。祭神は日吉神。 |
西七条 | 西七条御旅所 | 御旅所 | 京都府京都市下京区西七条南中野町 | 松尾祭で、本社・宗像・櫟谷・四之社の神輿4基と月読の唐櫃が渡御。滞在期間は4月下卯から5月上酉まで、現在では4月20日以降の最初の日曜から3週間。元は3カ所あった御旅所を合併したらしい。 |
西七条 | 武御前社 | 末社? | 京都府京都市下京区西七条南中野町 | 西七条御旅所内。祭神は武甕槌命。 |
西七条 | (櫟谷社御旅所) | 御旅所 | 京都府京都市下京区西七条北東野町 | 綱敷行衛天満宮の地にあった。廃絶。 |
西七条 | 綱敷行衛天満宮 | 末社 | 京都府京都市下京区西七条北東野町 | 旧櫟谷社御旅所内。もともと綱敷天満宮があり西の行衛天満宮を1934年(昭和9年)に合祀。村社。 |
西七条 | (宗像社御旅所) | 御旅所 | 京都府京都市下京区西七条北西野町 | 安阿弥寺の北にあった。廃絶。 |
唐橋 | 西寺跡御旅所 | 御旅所 | 京都府京都市南区唐橋西寺町 | 古代の西寺の跡地。還幸祭の時、本社に戻る前に各御旅所から全ての神輿と唐櫃が渡御する。かつては神輿・唐櫃を「金堂ノ跡」(「旭の杜」)に奉安した。粽の御供、赤飯座の特殊神饌を供えた。近年の発掘調査でこの「金堂ノ跡」は講堂跡とみられることが分かった。 |
唐橋 | 唐橋道祖神社 | 末社 | 京都府京都市南区唐橋平垣町 | 西寺跡の近く。祭神は猿田彦大神、天宇受売命。1573年(天正1年)創建。1877年(明治10年)頃、松尾大社末社となる。 |
朱雀 | 朱雀御旅所 | 御旅所 | 京都府京都市下京区朱雀裏畑町 | 還幸祭の時に西寺の後、全ての神輿と唐櫃が揃って祭典を行う。 |
朱雀 | 朱雀松尾総神社 | 末社 | 京都府京都市下京区朱雀裏畑町 | 朱雀御旅所内。祭神は月読命。 |
その他 | 高田三宮神社 | 末社 | 京都府京都市右京区嵯峨野高田町 | |
その他 | 京都・大井神社 | 末社? | 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町 | 祭神は倉稲魂神。 |
組織
古代から明治まで秦氏が奉仕し、神主東家・正禰宜南家などがいたが、中世には月読神社の伊岐氏(卜部氏)の松室家が実権を握った。
大宮司・宮司
- 久我建通()<1872-1873>:1872年(明治5年)から1873年(明治6年)3月まで松尾神社大宮司。賀茂別雷神社・賀茂御祖神社・貴船神社の宮司を兼務。(略歴は賀茂別雷神社#組織を参照)
- 師岡正胤(1829-1899)<1873-?>:江戸出身の国学者・志士。布志乃屋。大国隆正に師事。平田派に入門。足利将軍像梟首事件に関与し、捕縛される。上田に幽閉。1868年(明治1年)刑法官出仕。監察使知事。1870年(明治3年)宣教権中博士。1873年(明治6年)3月25日、松尾神社大宮司、権少教正。神道事務局教授。神宮教に関わる。子に幸徳秋水妻の幸徳千代子。(『神道人名辞典』、『国史大辞典』)
- 山名茂淳()<>:
- 西洞院信愛(1846-1904)<>:子爵。西洞院時名の長男。松尾大社宮司、平野神社宮司。下鴨神社宮司。敢国神社宮司。護王神社宮司。(略歴は、賀茂御祖神社#組織を参照)
- 近藤芳介(1822-1898)<1875-1879>:山口藩出身の国学者。1875年(明治8年)から1879年(明治12年)まで松尾大社宮司。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
- 松原貴速(1831-?)<1879-1883>:明治前期の内務官僚・神職。1879年(明治12年)から1883年(明治16年)まで松尾大社宮司。没年不詳。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
- 藤井行徳(1855-1932)<>:平野神社の社家で堂上家の藤井家の当主。卜部氏。松尾大社宮司、白峰宮宮司を歴任。1921年(大正10年)5月17日から1929年(昭和4年)3月まで平野神社宮司。子爵。貴族院議員。
- 立木兼善(1834-1909)<1895-1902>:1895年(明治28年)から1902年(明治35年)まで松尾大社宮司。(略歴は、石上神宮#組織を参照)
- 赤川戇助(1843-1921)<1903-1907>:山口藩士。内務官僚。1903年(明治36年)2月6日から1907年(明治40年)3月6日まで松尾大社宮司。(〓は章+夂+貢の下に心) (略歴は、長田神社#組織を参照)
- 檜垣常伯()<?-1910>:1910年(明治43年)11月29日、北野天満宮に転任。(略歴は、北野天満宮#組織を参照)
- 長谷外余男(1890-1973)<1910-1918>:1910年(明治43年)11月29日、大鳥神社宮司から転任して松尾神社宮司。1918年(大正7年)まで。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
- 矢野豁(1881-1945)<1930-1933>:愛媛県出身の神職。1930年(昭和5年)から1933年(昭和8年)まで松尾大社宮司。(略歴は、玉前神社#組織を参照)
- 鳥羽重節()<-1936->:城南宮の社家。1880年(明治13年)生。国学院大学卒。建勲神社宮司。1936年(昭和11年)7月在職。『松尾神社社蔵文書目録』を編纂。
- 河田晴夫()<>:
- 佐古一洌(1941-2020)<1992-2013>:1941年(昭和16年)生。皇学館大学卒。神宮出仕、神宮宮掌、神宮権禰宜、松尾大社禰宜を経て1992年(平成4年)3月から2013年(平成25年)まで松尾大社宮司。2008年(平成20年)、皇学館理事長。
- 生嶌経和(1947-)<2013->:1947年(昭和22年)生。皇学館大学卒。1997年(平成9年)権宮司。2013年(平成25年)4月1日宮司就任。
- 矢野直道(1847-1898)<>:?
権宮司
- 矢野直道(1847-1898)<>:明治時代の国学者。矢野玄道の弟。皇学所御用掛。1873年(明治6年)3月20日、少宮司就任。
- 生嶌経和(1947-)<1997->
画像
資料
- 『古事類苑』「松尾神社 付松尾祭」[1]
- 1929『東家系譜要説』
- 1936『松尾神社社蔵文書目録』[2]
- 1953『松尾大社社蔵文書編年目録』
- 1959『松尾大社社蔵文書追加目録』
- 「永享十三年松尾社法楽百首」:群書類従
- 『松尾大社史料集』
- 1965『未刊松尾社家系図』
- 1997『京都妙蓮寺蔵『松尾社一切経』調査報告書』
- 1971『松尾大社境内整備誌』
- 1975『松尾大社造園誌』
- 2007『松尾大社』学生社
- 2011『松尾大社の神影』
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』
脚注
上七社 | 1伊勢神宮 | 2石清水八幡宮 | 3賀茂神社 上賀茂神社・下鴨神社 | 4松尾大社 | 5平野神社 | 6伏見稲荷大社 | 7春日大社 | ||
中七社 | 8大原野神社 | 9大神神社 | 10石上神宮 | 11大和神社 | 12広瀬大社 | 13龍田大社 | 14住吉大社 | ||
下八社 | 15日吉大社 | 16梅宮大社 | 17吉田神社 | 18広田神社 | 19八坂神社 | 20北野天満宮 | 21丹生川上神社 上社・中社・下社 | 22貴船神社 |