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南都仏教の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | *智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | ||
*智達(生没年不詳):法相宗第二伝。智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 | *智達(生没年不詳):法相宗第二伝。智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 | ||
*智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | *智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | ||
+ | *[[徳道]](656-?):[[長谷寺]]を創建。辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。 | ||
*[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。[[龍門寺]]、[[龍蓋寺]]、[[龍福寺]]などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。 | *[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。[[龍門寺]]、[[龍蓋寺]]、[[龍福寺]]などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。 | ||
*[[行基]](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。 | *[[行基]](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。 | ||
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*恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で吉蔵に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に[[井上寺]]を創建した。 | *恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で吉蔵に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に[[井上寺]]を創建した。 | ||
*智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。天智天皇の時に入唐。 | *智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。天智天皇の時に入唐。 | ||
- | * | + | *智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。[[智光曼荼羅]]を感得したとされる。多くの著作が現存。 |
- | * | + | *頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。 |
- | * | + | *道慈(?-744):三論宗第三伝。額田氏。大和国添上郡出身。702年(大宝2年)入唐。長安の西明寺に滞在し、元康に三論宗を学び、善無畏に密教を伝授される。718年(養老2年)帰国。西明寺を模して[[大安寺]]を整備。大般若経転読会を始める。『愚志』を著し仏教界批判を行った。 |
- | + | *神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。 | |
- | + | *審祥(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。新羅に留学。入唐し、法蔵に華厳宗を学ぶ。帰国後は大安寺に住す。740年(天平12年)から良弁の招きで、東大寺で日本初の華厳宗講義を行う。 | |
- | + | *[[鑑真]](688-763):来日僧。[[東大寺戒壇院]]、[[唐招提寺]]を創建。 | |
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*[[良弁]](689-774):[[東大寺]]開山。[[石山寺]]開山。[[義淵]]に[[法相宗]]を学び、[[審祥]]に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。 | *[[良弁]](689-774):[[東大寺]]開山。[[石山寺]]開山。[[義淵]]に[[法相宗]]を学び、[[審祥]]に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。 | ||
- | * | + | *慈訓(691-777):[[興福寺]]別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。 |
- | + | *道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。嵩山普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。 | |
- | * | + | *菩提僊那(704-760):東大寺四聖。インド出身。婆羅門僧正。[[五台山]]巡礼のために唐を訪れていたが、日本の遣唐使の要請でベトナム僧仏哲、中国僧道センと共に736年(天平8年)に来日。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏の開眼法要で導師を務めた。[[霊山寺]]に墓。 |
- | * | + | *隆尊(706-760):義淵に法相宗、華厳宗を学ぶ。[[舎人親王]]に戒師の招請を建議して鑑真来日のきっかけを作った。東大寺大仏開眼法要の講師を務めた。 |
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- | *[[ | + | |
*[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 | *[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 | ||
- | * | + | *普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。[[東大寺唐禅院]]に住し、[[西大寺]]大鎮となる。業行。 |
- | *[[ | + | *[[道鏡]](?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。[[葛城山]]で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で[[孝謙上皇]]の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。[[西大寺]]、[[西隆寺]]を創建した。769年(神護景雲3年)に[[宇佐八幡]]神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の[[称徳天皇]]の崩御後、造[[下野・薬師寺]]別当に左遷された。 |
- | * | + | *法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。[[揚州白塔寺]]にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の[[東大寺戒壇院]]創建を助け、その初代戒和上となった。[[東大寺唐禅院]]に住す。 |
- | * | + | *行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江崇福寺寺主。晩年は吉野比蘇山寺で修禅に励む。 |
- | * | + | *善珠(723-797)法相宗六祖。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、[[秋篠寺]]を創建。[[最澄]]の招きで[[延暦寺]]根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。 |
- | * | + | *[[開成]](724-781):[[光仁天皇]]皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。[[勝尾寺]]を創建。 |
- | * | + | *実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、[[西隆寺]]の造営にも関わる。東大寺権別当。 |
- | * | + | *報恩(?-795):760年(天平宝字4年)に[[子島寺]]を創建。備前出身。[[孝謙天皇]]、[[桓武天皇]]の病気平癒祈願を行う。[[吉野]]で修行。 |
+ | *行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と[[天台宗]]を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。 | ||
+ | *如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 | ||
+ | *義静(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事。[[揚州興雲寺]]住職。唐招提寺で経蔵を整備。 | ||
+ | *思託(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 | ||
+ | *法載(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。法蔵。 | ||
+ | *玄賓(734-818):法相宗六祖。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、[[桓武天皇]]の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国[[湯川山寺]]に隠遁。[[平城上皇]]の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に[[阿弥陀寺]]を創建。 | ||
+ | *延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、[[坂上田村麻呂]]に帰依を受け、[[清水寺]]を創建。子島寺報恩に師事。 | ||
+ | *常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。[[梵釈寺]]別当、[[崇福寺]]検校を兼ねた。 | ||
+ | *[[勤操]](754-827):大和出身。[[秦氏]]。[[石淵寺]]で法華八講を創始。空海の師と言われ、一説には虚空蔵求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、[[西寺]]別当を歴任。石淵僧正。 | ||
+ | *豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。平城上皇に授戒。 | ||
+ | *[[霊仙]](生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。[[空海]]や[[最澄]]と同時に入唐。[[醴泉寺]]に滞在し、[[般若]]に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。[[五台山]]で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 | ||
===平安時代=== | ===平安時代=== |
2016年6月16日 (木) 時点における版
目次 |
一覧
飛鳥時代
- 善信尼
- 本多善光 善光寺を創建。
- 聖徳太子 法隆寺を創建
- 慧慈
- 観勒
- 恵隠
- 道昭(629-700):法相宗の入唐僧。河内出身。船氏。玄奘に師事し、基と交わり、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。
- 定慧
- 役小角
奈良時代
- 智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。
- 智達(生没年不詳):法相宗第二伝。智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。
- 智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。
- 徳道(656-?):長谷寺を創建。辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。
- 義淵(?-728):法相宗僧侶。市往氏。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。龍門寺、龍蓋寺、龍福寺などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。
- 行基(668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。
- 玄昉(?-746):法相宗六祖。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、玄宗から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも吉備真備と共に権勢をふるうが、藤原広嗣の乱を経て観世音寺に左遷された。
- 恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で吉蔵に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に井上寺を創建した。
- 智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。天智天皇の時に入唐。
- 智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。智光曼荼羅を感得したとされる。多くの著作が現存。
- 頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。
- 道慈(?-744):三論宗第三伝。額田氏。大和国添上郡出身。702年(大宝2年)入唐。長安の西明寺に滞在し、元康に三論宗を学び、善無畏に密教を伝授される。718年(養老2年)帰国。西明寺を模して大安寺を整備。大般若経転読会を始める。『愚志』を著し仏教界批判を行った。
- 神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。
- 審祥(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。新羅に留学。入唐し、法蔵に華厳宗を学ぶ。帰国後は大安寺に住す。740年(天平12年)から良弁の招きで、東大寺で日本初の華厳宗講義を行う。
- 鑑真(688-763):来日僧。東大寺戒壇院、唐招提寺を創建。
- 良弁(689-774):東大寺開山。石山寺開山。義淵に法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。
- 慈訓(691-777):興福寺別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。
- 道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。嵩山普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。
- 菩提僊那(704-760):東大寺四聖。インド出身。婆羅門僧正。五台山巡礼のために唐を訪れていたが、日本の遣唐使の要請でベトナム僧仏哲、中国僧道センと共に736年(天平8年)に来日。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏の開眼法要で導師を務めた。霊山寺に墓。
- 隆尊(706-760):義淵に法相宗、華厳宗を学ぶ。舎人親王に戒師の招請を建議して鑑真来日のきっかけを作った。東大寺大仏開眼法要の講師を務めた。
- 栄叡(?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、端州龍興寺で客死。
- 普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。東大寺唐禅院に住し、西大寺大鎮となる。業行。
- 道鏡(?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。葛城山で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で孝謙上皇の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。西大寺、西隆寺を創建した。769年(神護景雲3年)に宇佐八幡神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の称徳天皇の崩御後、造下野・薬師寺別当に左遷された。
- 法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。揚州白塔寺にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の東大寺戒壇院創建を助け、その初代戒和上となった。東大寺唐禅院に住す。
- 行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江崇福寺寺主。晩年は吉野比蘇山寺で修禅に励む。
- 善珠(723-797)法相宗六祖。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、秋篠寺を創建。最澄の招きで延暦寺根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。
- 開成(724-781):光仁天皇皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。勝尾寺を創建。
- 実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、西隆寺の造営にも関わる。東大寺権別当。
- 報恩(?-795):760年(天平宝字4年)に子島寺を創建。備前出身。孝謙天皇、桓武天皇の病気平癒祈願を行う。吉野で修行。
- 行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と天台宗を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。
- 如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。
- 義静(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事。揚州興雲寺住職。唐招提寺で経蔵を整備。
- 思託(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。
- 法載(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。法蔵。
- 玄賓(734-818):法相宗六祖。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、桓武天皇の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国湯川山寺に隠遁。平城上皇の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に阿弥陀寺を創建。
- 延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、坂上田村麻呂に帰依を受け、清水寺を創建。子島寺報恩に師事。
- 常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。梵釈寺別当、崇福寺検校を兼ねた。
- 勤操(754-827):大和出身。秦氏。石淵寺で法華八講を創始。空海の師と言われ、一説には虚空蔵求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、西寺別当を歴任。石淵僧正。
- 豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。平城上皇に授戒。
- 霊仙(生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。空海や最澄と同時に入唐。醴泉寺に滞在し、般若に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。五台山で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。
平安時代
- 行教
- 景戒
- 徳一
- 空海 東大寺真言院を創建
- 承俊 勧修寺開山
- 護命
- 修円
- 定昭 興福寺一乗院を創建
- 聖宝 東大寺東南院を創建
- 光智 東大寺尊勝院を創建
- 尋範
- 隆禅 興福寺大乗院を創建
- 頼実 内山永久寺を創建
- 実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。中川寺を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。
鎌倉時代
- 信円 興福寺を復興
- 重源 東大寺大勧進
- 栄西 東大寺大勧進
- 明恵 高山寺創建
- 貞慶
- 良遍 東大寺知足院復興
- 信空 西大寺長老2世
- 俊ジョウ(1166-1227):真言律宗泉涌寺流の開祖。泉涌寺開山。月輪大師、大興正法国師。
- 覚盛(1194-1249):真言律宗。大和出身。東大寺で自誓受戒。唐招提寺を復興。大悲菩薩。
- 叡尊(1201-1290):真言律宗西大寺流の開祖。大和出身。興福寺の学侶慶玄の子。醍醐寺叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。思円房。興正菩薩。
- 円晴:
- 忍性(1217-1303):大和出身。伴氏。真言律宗西大寺流。叡尊、覚盛に師事。鎌倉・極楽寺を創建。四天王寺別当。忍性菩薩。
- 円照(1220-1277):東大寺の僧。東大寺戒壇院中興と言われる。大和出身。藤原氏。叡尊、禅恵、良忠に師事。東大寺戒壇院主。円爾にも師事。東大寺大勧進職。実相。
- 証玄(1220-1292):真言律宗唐招提寺流の僧。覚盛に受戒。唐招提寺を継ぐ。円律。
- 導御(1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。法金剛院、壬生寺の中興。唐招提寺証玄に師事。法隆寺夢殿で融通念仏を広めるように聖徳太子の託宣を得る。壬生寺、清涼寺などの大念仏会を実施した。円覚十万上人。
- 凝然(1240-1321):東大寺の僧。伊予出身。藤原氏。延暦寺戒壇院で受戒。東大寺円照に師事。華厳、倶舎、律、三論、法相、天台、真言、禅、浄土の各宗に精通し、『八宗綱要』などを記す。東大寺戒壇院長老、唐招提寺長老を務める。示観房。凝然大徳。示観国師。
- 宣瑜(1240-1325):叡尊に師事。伊勢弘正寺住職を経て西大寺3代長老。花園天皇の帰依を受けた。浄覚。
- 湛睿(1271-1347):凝然、禅爾に師事。下総東禅寺などに住す。武蔵称名寺第3代長老となる。華厳学の大家でもあった。金沢文庫に多くの仏典の写本を残す。本如。
- 文観(1278-1357):真言律宗西大寺流の僧。立川流の大成者。播磨一乗寺で学び、叡尊のもとで律僧となる。大和竹林寺長老。報恩院流を学ぶ。東寺大勧進、醍醐寺座主を歴任。弘真、文観房殊音、小野僧正。
南北朝時代
室町時代
- 志玉
- 経覚 蓮如の師
江戸時代
- 公慶 東大寺大勧進
- 湛海(1629-1716):真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。神鳳寺円忍の教えを受ける。宝山寺の開山。仏像彫刻の名匠。宝山律師。
近代
- 佐伯定胤
- 高田好胤
- 大西良慶