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東大寺関連旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2017年9月5日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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東大寺に関連する旧跡。

目次

主要伽藍

  • 大仏殿周辺
    • 大仏殿:東大寺の金堂。
    • 講堂:廃絶
    • 食堂:廃絶
  • 本坊(旧東南院
  • 上院
  • 手向山八幡宮:平家焼き討ち以前は大仏殿の東南にあった。天平時代の遺構を残す宝庫がある。
  • 塔など
    • 東塔院
    • 西塔院
    • 正倉院
    • 南大門
    • 転害門
    • 西大門:廃絶
    • 中御門:廃絶。焼門。
  • 戒壇院
    • 戒壇堂
    • 千手堂
    • 談議所
    • 庫裡:現在の別火坊
  • 指図堂・勧進所周辺
    • 指図堂:重源復興の際の勧進所
    • 中門堂:現在の指図堂の位置にあった。
    • 阿弥陀堂:五劫思惟阿弥陀如来
    • 天皇殿:本坊内に遷座。
    • 八幡殿:旧天皇殿。神仏分離で手向山八幡宮から遷座した僧形八幡神像を祀る。
    • 公慶堂
    • 剣塚
  • 真言院(勧学院)
    • 潅頂堂
    • 舎利殿
    • 大師堂
    • 神護殿
  • 阿弥陀院:廃絶
  • 御髪塔:聖武天皇の髪を納めたとも、鎌倉再建のときの髪の綱を納めたともいう。
  • 興福寺一乗院宮墓地
  • 御拝壇

主要子院

  • 東南院真言宗三論宗の本拠となった門跡寺院聖宝が創建。宝暦の火災で罹災。現在は本坊。
  • 尊勝院華厳宗の本拠となった寺院。武家勢力と近かった。廃絶。
  • 真言院:現存。空海が創建。
  • 龍松院:現存。大勧進職を務めた寺院。公慶が創建。公慶時代は勧進所にあった。没後、旧大喜院に移った。
  • 上之坊:良弁を祀る東大寺開山堂を管理する寺院。現存。1407年(応永14年)、春専が再建。
  • 薬師院:執行職・三網職を務めた寺院。学侶や堂衆の寺院とは異なり、東大寺郷の近くにあった。多くの文書が残されている。廃絶。
  • 正法院:三網職を担った寺院。詳細は分かっていない。廃絶。
  • 知足院:現存。
  • 新禅院:現存。本尊は金色阿弥陀像。938年(天慶1年)に明珍が創建。念仏院と称した。定親が再興。三論宗の拠点。1197年(建久8年)、興福寺西金堂衆により破壊される。宝暦の火災で罹災。後嵯峨上皇祈願所。寺名のみ残る。現在は跡地に東大寺整肢園がある。
  • 龍蔵院:現存。
  • 新福院:廃絶。
  • 自性院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 法輪院:廃絶。
  • 安養坊:廃絶。
  • 宝信院:廃絶。
  • 観音院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 持宝院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 宝厳院:現存。元は大喜院の隣にあった。良覚が蓮乗院と同時期に創建。実清が天正年間に中興。宝暦の火災で罹災。現在地は旧実信院の位置。
  • 大喜院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 深井坊:上生院の東、講堂の北にあった。廃絶。1495年(明応4年)に秀覚が創建。江戸時代中期以降に廃絶。
  • 金蔵院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 上生院:現存。知足院の南にあった。浄実が中興。華厳宗寺院だったが、のち三論宗に転じた。宝暦の火災で罹災。寺名のみ残る。
  • 見性院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 密乗院:廃絶。
  • 善性院:廃絶。
  • 勝曼院:廃絶。
  • 中性院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 宝珠院:現存。創建年代は不明。二月堂を管理していたこともある。1562年(永禄5年)に玄覚が再建。
  • 来迎院:廃絶。
  • 蓮乗院:大仏殿の西にあった。1555年(弘治1年)実清が中興。廃絶。
  • 四聖坊:正倉院の南西にあった。四聖御影を祀っていた。堂宇は正倉院内に現存。廃絶。
  • 清涼院:現存。尊勝院の北東にある。徳川家康の帰依を受けた実英が中興。寺名のみがあるとされる。
  • 仏性院:仏生院。宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 金剛院:廃絶。
  • 文殊院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 福寿院:廃絶。
  • 阿弥陀院:廃絶。
  • 普賢院:廃絶。
  • 最勝院:廃絶。
  • 正源院:廃絶。
  • 証菩提院:廃絶。
  • 尊光院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 迦葉院:廃絶。
  • 禅花坊:尊勝院の北に隣接。1475年(文明7年)、英祐が成福院とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
  • 成福院:尊勝院の東にあった。1475年(文明7年)、英祐が禅花坊とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
  • 惣持院:現存。禅花坊の北にあった。英秀が創建。寺名のみ残るが、勧進所奥院を惣持院の建物として用いている。
  • 西之院:廃絶。
  • 西蔵院:廃絶。
  • 西南院:廃絶。
  • 唐禅院:鑑真の住坊として建てられた塔頭寺院。講堂の西、戒壇院の北にあった。廃絶。
  • 一音院:廃絶。
  • 地蔵院:現存。室町時代に浄憲が再興。当初の位置は分かっていない。真言院の南に現存。
  • 禅那院:廃絶。
  • 千手院:廃絶。
  • 紫摩金院:紫磨金院。廃絶。
  • 新造屋:廃絶。
  • 普門院:廃絶。
  • 法性院:廃絶。
  • 実信院:廃絶。
  • 北林院:現存。成慶が中興。正倉院の西にあったが、1917年(大正6年)に現在地に移転。
  • 正観院:現存。1844年(弘化1年)、広海が創建。正倉院の中にあった。1917年(大正6年)に現在地に再興。
  • 金殊院:現存。清須が創建。講堂の北西にあり、見性院に接していた。寺名のみが残っている。
  • 嘉祥院:廃絶。
  • 中院:廃絶。
  • 北室院:廃絶。
  • 禅南院:廃絶。
  • 福園院:廃絶。
  • 西室院:廃絶。
  • 東室院:廃絶。

東大寺草創に関わる旧跡

東大寺鎌倉復興に関わる旧跡

東大寺江戸復興に関わる旧跡

関連人物旧跡

聖武天皇良弁行基菩提僊那四聖と呼ばれる。


  • 実忠旧跡
    • 笠置山:実忠が修行したところ
    • 頭塔:実忠が作ったという
    • 難波津:修二会の本尊、小観音を迎えたところという

修二会関連旧跡

  • 紫微中台十一面悔過所 光明皇后により十一面悔過が行われていた。
  • 笠置山 実忠が修行したところ。修二会発祥の地。
  • 難波津 修二会の本尊、小観音を迎えたところという
  • 名張極楽寺 修二会の松明をつくる
  • 道観塚


末寺・旧末寺



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