ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
南都仏教の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年3月19日 (月)
(版間での差分)
(?平安時代) |
(?平安時代) |
||
(間の24版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | [[ | + | [[南都仏教]]の[[諸師旧跡]]。 |
- | == 一覧 == | + | ==一覧== |
===飛鳥時代=== | ===飛鳥時代=== | ||
- | * | + | *善信尼(生没年不詳):日本最初の僧侶(尼僧)。司馬達等の娘。584年、禅蔵尼、恵善尼と共に出家。百済に留学して受戒。 |
- | *[[本多善光]] [[善光寺]]を創建。 | + | *[[日羅]](?-583):日系百済人の来日僧。史料では僧侶という記述はないようだが、聖徳太子の師僧の一人とされる。大阪市北区に[[日羅塚]]がある。 |
+ | *[[本多善光]](生没年不詳):伝説的な人物。[[善光寺]]を創建。 | ||
*慧慈(?-623):高句麗からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。615年(推古23年)に高句麗に帰国し、聖徳太子の『三経義疏』を広めたという。恵慈。 | *慧慈(?-623):高句麗からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。615年(推古23年)に高句麗に帰国し、聖徳太子の『三経義疏』を広めたという。恵慈。 | ||
*慧聡(生没年不詳):百済からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。 | *慧聡(生没年不詳):百済からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。 | ||
*観勒(生没年不詳):百済からの来日僧。三論宗。602年(推古10年)、来日。暦、天文、方術を請来。624年(推古32年)、上奏して僧官制度が定められると日本最初の僧正となった。 | *観勒(生没年不詳):百済からの来日僧。三論宗。602年(推古10年)、来日。暦、天文、方術を請来。624年(推古32年)、上奏して僧官制度が定められると日本最初の僧正となった。 | ||
- | *[[聖徳太子]](574-622):用明天皇皇子。慧慈と慧聡に学ぶ。[[法隆寺]]を創建。 | + | *'''[[聖徳太子]]'''(574-622):用明天皇皇子。慧慈と慧聡に学ぶ。[[法隆寺]]を創建。 |
*旻(?-653):入隋僧。新漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。隋から唐への変革期に24年間滞在し、632年(舒明4年)帰国。僧旻。中臣鎌足や蘇我入鹿に儒教を講じた。645年(大化1年)、僧侶統制のための十師制を提唱し、自らも十師となった。孝徳天皇に信任された。 | *旻(?-653):入隋僧。新漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。隋から唐への変革期に24年間滞在し、632年(舒明4年)帰国。僧旻。中臣鎌足や蘇我入鹿に儒教を講じた。645年(大化1年)、僧侶統制のための十師制を提唱し、自らも十師となった。孝徳天皇に信任された。 | ||
*恵隠(生没年不詳):入隋僧。志賀漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。31年間にわたり滞在し、639年(舒明11年)帰国。翌年、『無量寿経』の講義を行い、一説に日本浄土教の始祖とみなされる。誓願寺を創建したとされている。 | *恵隠(生没年不詳):入隋僧。志賀漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。31年間にわたり滞在し、639年(舒明11年)帰国。翌年、『無量寿経』の講義を行い、一説に日本浄土教の始祖とみなされる。誓願寺を創建したとされている。 | ||
- | *[[道昭]](629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。 | + | *'''[[道昭]]'''(629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。 |
*[[定慧]](643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。[[長安]]の[[慧日道場]]で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を[[多武峰]]に築き、[[妙楽寺]]を開いたとされる。貞慧。 | *[[定慧]](643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。[[長安]]の[[慧日道場]]で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を[[多武峰]]に築き、[[妙楽寺]]を開いたとされる。貞慧。 | ||
- | *[[役小角]](生没年不詳):修験道の開祖。699年(文武3年)、伊豆大島に流される。 | + | *'''[[役小角]]'''(生没年不詳):修験道の開祖。699年(文武3年)、伊豆大島に流される。 |
*智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | *智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | ||
*智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 | *智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 | ||
*智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | *智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | ||
+ | *[[法道]](生没年不詳):飛鳥時代にインドの[[霊鷲山]]から紫雲に乗って日本に飛来したとされる神仙僧。空鉢仙人。 | ||
===奈良時代=== | ===奈良時代=== | ||
*道明(生没年不詳):長谷寺の開祖。六人部氏。弘福寺に住す。 | *道明(生没年不詳):長谷寺の開祖。六人部氏。弘福寺に住す。 | ||
- | *[[徳道]](656-?):辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。道明に従い、[[長谷寺]]を創建。[[西国霊場]]の創始者。墓所は、姿を消した地とされる[[長谷寺法起院]]にある。 | + | *'''[[徳道]]'''(656-?):辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。道明に従い、[[長谷寺]]を創建。[[西国霊場]]の創始者。墓所は、姿を消した地とされる[[長谷寺法起院]]にある。 |
- | *[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。[[龍門寺]]、[[龍蓋寺]] | + | *'''[[義淵]]'''(?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。[[龍門寺]]、[[龍蓋寺]]などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、龍蓋寺と[[菅生寺]]にある。 |
- | *[[行基]](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、[[大和・竹林寺]]。 | + | *'''[[行基]]'''(668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、[[大和・竹林寺]]。 |
- | * | + | *'''玄昉'''(?-746):法相宗六祖。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、[[玄宗]]から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも[[吉備真備]]と共に権勢をふるうが、[[藤原広嗣]]の乱を経て[[観世音寺]]に左遷された。墓は、観世音寺にある。 |
*恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で[[吉蔵]]に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に[[井上寺]]を創建した。 | *恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で[[吉蔵]]に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に[[井上寺]]を創建した。 | ||
*智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。[[天智天皇]]の時に入唐。 | *智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。[[天智天皇]]の時に入唐。 | ||
*智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。[[智光曼荼羅]]を感得したとされる。多くの著作が現存。 | *智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。[[智光曼荼羅]]を感得したとされる。多くの著作が現存。 | ||
*頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。 | *頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。 | ||
- | * | + | *'''道慈'''(?-744):三論宗第三伝。額田氏。大和国添上郡出身。702年(大宝2年)入唐。長安の西明寺に滞在し、元康に三論宗を学び、[[善無畏]]に密教を伝授される。718年(養老2年)帰国。西明寺を模して[[大安寺]]を整備。大般若経転読会を始める。『愚志』を著し仏教界批判を行った。 |
*神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。 | *神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。 | ||
- | * | + | *'''審祥'''(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。新羅に留学。入唐し、法蔵に華厳宗を学ぶ。帰国後は[[大安寺]]に住す。740年(天平12年)から良弁の招きで、東大寺で日本初の華厳宗講義を行う。 |
- | *[[鑑真]](688-763):来日僧。[[東大寺戒壇院]]、[[唐招提寺]]を創建。墓所は、唐招提寺にある。 | + | *'''[[鑑真]]'''(688-763):来日僧。[[東大寺戒壇院]]、[[唐招提寺]]を創建。墓所は、唐招提寺にある。 |
- | *[[良弁]](689- | + | *'''[[良弁]]'''(689-773):[[東大寺]]開山。[[石山寺]]開山。[[義淵]]に[[法相宗]]を学び、[[審祥]]に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。墓は、[[大和・開善寺]]跡にある。 |
*慈訓(691-777):[[興福寺]]別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。 | *慈訓(691-777):[[興福寺]]別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。 | ||
*道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。[[嵩山]]普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。 | *道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。[[嵩山]]普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。 | ||
39行: | 41行: | ||
*[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 | *[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 | ||
*普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。[[東大寺唐禅院]]に住し、[[西大寺]]大鎮となる。業行。 | *普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。[[東大寺唐禅院]]に住し、[[西大寺]]大鎮となる。業行。 | ||
- | *[[道鏡]](?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。[[葛城山]]で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で[[孝謙上皇]]の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。[[西大寺]]、[[西隆寺]]を創建した。769年(神護景雲3年)に[[宇佐八幡]]神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の[[称徳天皇]]の崩御後、造[[下野・薬師寺]]別当に左遷された。墓所は、[[龍興寺]]にある。 | + | *'''[[道鏡]]'''(?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。[[葛城山]]で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で[[孝謙上皇]]の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。[[西大寺]]、[[西隆寺]]を創建した。769年(神護景雲3年)に[[宇佐八幡]]神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の[[称徳天皇]]の崩御後、造[[下野・薬師寺]]別当に左遷された。墓所は、[[龍興寺]]にある。 |
*法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。[[揚州白塔寺]]にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の[[東大寺戒壇院]]創建を助け、その初代戒和上となった。[[東大寺唐禅院]]に住す。 | *法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。[[揚州白塔寺]]にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の[[東大寺戒壇院]]創建を助け、その初代戒和上となった。[[東大寺唐禅院]]に住す。 | ||
*行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江[[崇福寺]]寺主。晩年は吉野[[比蘇山寺]]で修禅に励む。 | *行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江[[崇福寺]]寺主。晩年は吉野[[比蘇山寺]]で修禅に励む。 | ||
45行: | 47行: | ||
*[[開成]](724-781):[[光仁天皇]]皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。[[勝尾寺]]を創建。皇室の治定墓が同寺にある。 | *[[開成]](724-781):[[光仁天皇]]皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。[[勝尾寺]]を創建。皇室の治定墓が同寺にある。 | ||
*実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、[[西隆寺]]の造営にも関わる。東大寺権別当。 | *実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、[[西隆寺]]の造営にも関わる。東大寺権別当。 | ||
- | * | + | *[[報恩]](?-795):760年(天平宝字4年)に[[子島寺]]を創建。備前出身。[[孝謙天皇]]、[[桓武天皇]]の病気平癒祈願を行う。[[吉野]]で修行。 |
*行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と[[天台宗]]を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。 | *行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と[[天台宗]]を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。 | ||
*如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 | *如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 | ||
57行: | 59行: | ||
*常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。[[梵釈寺]]別当、[[崇福寺]]検校を兼ねた。 | *常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。[[梵釈寺]]別当、[[崇福寺]]検校を兼ねた。 | ||
*護命(750-834):法相宗僧侶。秦氏。美濃国各務郡出身。[[美濃国分寺]]で学び、元興寺万耀に師事。[[桓武天皇]]に授戒。[[最澄]]の大乗戒壇設置の主要に反対。 | *護命(750-834):法相宗僧侶。秦氏。美濃国各務郡出身。[[美濃国分寺]]で学び、元興寺万耀に師事。[[桓武天皇]]に授戒。[[最澄]]の大乗戒壇設置の主要に反対。 | ||
- | *[[勤操]](754-827):大和出身。[[秦氏]]。[[石淵寺]]で法華八講を創始。[[空海]]の師と言われ、一説には[[虚空蔵]]求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、[[西寺]]別当を歴任。石淵僧正。 | + | *'''[[勤操]]'''(754-827):大和出身。[[秦氏]]。[[石淵寺]]で法華八講を創始。[[空海]]の師と言われ、一説には[[虚空蔵]]求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、[[西寺]]別当を歴任。石淵僧正。 |
- | *[[徳一]](760?-840?):法相宗の僧侶。[[常陸・中禅寺]]、[[会津・慧日寺]]などを開く。 | + | *'''[[徳一]]'''(760?-840?):法相宗の僧侶。[[常陸・中禅寺]]、[[会津・慧日寺]]などを開く。 |
*豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。[[平城上皇]]に授戒。 | *豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。[[平城上皇]]に授戒。 | ||
*景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。 | *景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。 | ||
*[[霊仙]](生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。[[空海]]や[[最澄]]と同時に入唐。[[醴泉寺]]に滞在し、[[般若]]に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。[[五台山]]で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 | *[[霊仙]](生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。[[空海]]や[[最澄]]と同時に入唐。[[醴泉寺]]に滞在し、[[般若]]に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。[[五台山]]で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 | ||
- | *修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に[[室生寺]] | + | *修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に[[室生寺]]を創建。興福寺別当。〓生禅師。 |
- | *[[空海]](774-835):日本真言宗の開祖。[[東大寺真言院]]や[[空海寺]]を創建。 | + | *'''[[空海]]'''(774-835):日本真言宗の開祖。[[東大寺真言院]]や[[空海寺]]を創建。 |
*[[行教]](生没年不詳):[[石清水八幡宮寺]]の開山。紀氏。行表に師事。860年(貞観2年)、石清水八幡宮を創建。[[益信]]の兄。 | *[[行教]](生没年不詳):[[石清水八幡宮寺]]の開山。紀氏。行表に師事。860年(貞観2年)、石清水八幡宮を創建。[[益信]]の兄。 | ||
- | *[[聖宝]](832-909):[[修験道]][[当山派]]の開祖。[[真雅]]から真言宗、三論宗、法相宗、華厳宗を学ぶ。[[東大寺東南院]]を創建。理源大師。 | + | *'''[[聖宝]]'''(832-909):[[修験道]][[当山派]]の開祖。[[真雅]]から真言宗、三論宗、法相宗、華厳宗を学ぶ。[[東大寺東南院]]を創建。理源大師。 |
*承俊(?-905):興福寺で出家。東大寺で法相宗と密教を学ぶ。[[醍醐天皇]]が[[勧修寺]]を創建したときに開山として招かれる。 | *承俊(?-905):興福寺で出家。東大寺で法相宗と密教を学ぶ。[[醍醐天皇]]が[[勧修寺]]を創建したときに開山として招かれる。 | ||
- | *光智(894- | + | *光智(894-979):華厳宗の僧。[[平氏]]。東大寺良緒に師事。961年(応和1年)、華厳宗の拠点として[[東大寺尊勝院]]を創建。 |
- | *定昭(906-983):[[興福寺一乗院]]を創建。藤原師尹の子。[[大覚寺]]住職を兼務。[[東寺]]長者。興福寺別当。[[金峰山寺]]検校。[[金剛峰寺]]座主。嵯峨僧都、一乗院僧都とも呼ばれる。 | + | *定昭(906-983):[[興福寺一乗院]]を創建。藤原師尹の子。[[大覚寺]]住職を兼務。[[東寺]]長者。興福寺別当。[[金峰山寺]]検校。[[金剛峰寺]]座主。嵯峨僧都、一乗院僧都とも呼ばれる。 |
- | *隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。[[興福寺大乗院]]開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。 | + | *清海:[[超昇寺]]の僧。清海曼荼羅を感得。 |
+ | *[[奝然]](938-1016):東大寺別当。[[京都・清凉寺開山。 | ||
+ | *永観(1033-1111):永観堂[[禅林寺]]に住す。 | ||
+ | *隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。[[興福寺大乗院]]開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。 | ||
*頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。[[内山永久寺]]を創建。 | *頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。[[内山永久寺]]を創建。 | ||
*実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。[[中川寺]]を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。 | *実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。[[中川寺]]を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。 | ||
75行: | 80行: | ||
===鎌倉時代=== | ===鎌倉時代=== | ||
- | * | + | *'''[[重源]]'''(1121-1206):東大寺大勧進 |
- | + | *'''[[栄西]]'''(1141-1215):東大寺大勧進 | |
- | *[[栄西]] | + | *信円(1153-1224):興福寺を復興 |
- | *[[ | + | *'''[[貞慶]]'''(1155-1213): |
- | + | *'''[[明恵]]'''(1173-1232):[[高山寺]]創建 | |
- | * | + | *良遍(1193-1252):[[東大寺知足院]]復興 |
- | * | + | *'''[[俊ジョウ]]'''(1166-1227):真言律宗[[泉涌寺流]]の開祖。[[泉涌寺]]開山。月輪大師、大興正法国師。 |
- | + | *[[覚盛]](1194-1249):真言律宗。大和出身。[[東大寺]]で自誓受戒。唐招提寺を復興。大悲菩薩。 | |
- | *[[覚盛]](1194-1249):真言律宗。大和出身。[[東大寺]] | + | *'''[[叡尊]]'''(1201-1290):真言律宗[[西大寺流]]の開祖。大和出身。[[興福寺]]の学侶慶玄の子。[[醍醐寺]]叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。思円房。興正菩薩。 |
- | + | *円晴(): | |
- | *''' | + | *'''[[忍性]]'''(1217-1303):大和出身。伴氏。真言律宗西大寺流。叡尊、覚盛に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[四天王寺]]別当。忍性菩薩。 |
- | + | *円照(1220-1277):東大寺の僧。[[東大寺戒壇院]]中興と言われる。大和出身。藤原氏。叡尊、禅恵、[[良忠]]に師事。東大寺戒壇院主。[[円爾]]にも師事。東大寺大勧進職。実相。 | |
- | * | + | *証玄(1220-1292):真言律宗唐招提寺流の僧。覚盛に受戒。唐招提寺を継ぐ。円律。 |
- | * | + | *[[導御]](1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。[[法金剛院]]、[[壬生寺]]の中興。唐招提寺証玄に師事。[[法隆寺]]夢殿で[[融通念仏]]を広めるように[[聖徳太子]]の託宣を得る。壬生寺、[[清涼寺]]などの大念仏会を実施した。円覚十万上人。 |
- | *[[導御]](1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。[[法金剛院]]、[[壬生寺]]の中興。唐招提寺証玄に師事。[[法隆寺]]夢殿で[[融通念仏]]を広めるように[[聖徳太子]]の託宣を得る。壬生寺、[[清涼寺]] | + | *[[信空]](1231-1316):西大寺長老2世。 |
- | * | + | *凝然(1240-1321):東大寺の僧。伊予出身。藤原氏。[[延暦寺戒壇院]]で受戒。東大寺円照に師事。華厳、倶舎、律、三論、法相、天台、真言、禅、浄土の各宗に精通し、『八宗綱要』などを記す。東大寺戒壇院長老、唐招提寺長老を務める。示観房。凝然大徳。示観国師。 |
- | * | + | *宣瑜(1240-1325):叡尊に師事。伊勢[[弘正寺]]住職を経て[[西大寺]]3代長老。[[花園天皇]]の帰依を受けた。浄覚。 |
- | * | + | *湛睿(1271-1347):凝然、禅爾に師事。[[下総・東禅寺]]などに住す。[[武蔵・称名寺]]第3代長老となる。華厳学の大家でもあった。金沢文庫に多くの仏典の写本を残す。本如。 |
- | * | + | *文観(1278-1357):真言律宗西大寺流の僧。[[立川流]]の大成者。[[播磨・一乗寺]]で学び、叡尊のもとで律僧となる。[[大和・竹林寺]]長老。[[報恩院流]]を学ぶ。[[東寺]]大勧進、[[醍醐寺]]座主を歴任。弘真、文観房殊音、小野僧正。 |
+ | *聖然(?-1312):三論宗の中興。聖守、証玄に師事。東大寺真言院に住す。 | ||
===南北朝時代=== | ===南北朝時代=== | ||
===室町時代=== | ===室町時代=== | ||
- | * | + | *志玉(): |
- | * | + | *経覚():[[蓮如]]の師 |
===江戸時代=== | ===江戸時代=== | ||
- | *公慶 | + | *'''公慶'''():東大寺大勧進 |
- | *湛海(1629- | + | *湛海(1629-1716):真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。神鳳寺円忍の教えを受ける。[[宝山寺]]の開山。仏像彫刻の名匠。宝山律師。 |
===近代=== | ===近代=== | ||
- | * | + | *佐伯定胤(): |
- | * | + | *高田好胤(): |
- | * | + | *大西良慶(): |
[[category:人物旧跡|*]] | [[category:人物旧跡|*]] |
2018年3月19日 (月) 時点における最新版
目次 |
一覧
飛鳥時代
- 善信尼(生没年不詳):日本最初の僧侶(尼僧)。司馬達等の娘。584年、禅蔵尼、恵善尼と共に出家。百済に留学して受戒。
- 日羅(?-583):日系百済人の来日僧。史料では僧侶という記述はないようだが、聖徳太子の師僧の一人とされる。大阪市北区に日羅塚がある。
- 本多善光(生没年不詳):伝説的な人物。善光寺を創建。
- 慧慈(?-623):高句麗からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。615年(推古23年)に高句麗に帰国し、聖徳太子の『三経義疏』を広めたという。恵慈。
- 慧聡(生没年不詳):百済からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。
- 観勒(生没年不詳):百済からの来日僧。三論宗。602年(推古10年)、来日。暦、天文、方術を請来。624年(推古32年)、上奏して僧官制度が定められると日本最初の僧正となった。
- 聖徳太子(574-622):用明天皇皇子。慧慈と慧聡に学ぶ。法隆寺を創建。
- 旻(?-653):入隋僧。新漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。隋から唐への変革期に24年間滞在し、632年(舒明4年)帰国。僧旻。中臣鎌足や蘇我入鹿に儒教を講じた。645年(大化1年)、僧侶統制のための十師制を提唱し、自らも十師となった。孝徳天皇に信任された。
- 恵隠(生没年不詳):入隋僧。志賀漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。31年間にわたり滞在し、639年(舒明11年)帰国。翌年、『無量寿経』の講義を行い、一説に日本浄土教の始祖とみなされる。誓願寺を創建したとされている。
- 道昭(629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。
- 定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。
- 役小角(生没年不詳):修験道の開祖。699年(文武3年)、伊豆大島に流される。
- 智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。
- 智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。
- 智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。
- 法道(生没年不詳):飛鳥時代にインドの霊鷲山から紫雲に乗って日本に飛来したとされる神仙僧。空鉢仙人。
奈良時代
- 道明(生没年不詳):長谷寺の開祖。六人部氏。弘福寺に住す。
- 徳道(656-?):辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。道明に従い、長谷寺を創建。西国霊場の創始者。墓所は、姿を消した地とされる長谷寺法起院にある。
- 義淵(?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。龍門寺、龍蓋寺などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、龍蓋寺と菅生寺にある。
- 行基(668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、大和・竹林寺。
- 玄昉(?-746):法相宗六祖。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、玄宗から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも吉備真備と共に権勢をふるうが、藤原広嗣の乱を経て観世音寺に左遷された。墓は、観世音寺にある。
- 恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で吉蔵に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に井上寺を創建した。
- 智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。天智天皇の時に入唐。
- 智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。智光曼荼羅を感得したとされる。多くの著作が現存。
- 頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。
- 道慈(?-744):三論宗第三伝。額田氏。大和国添上郡出身。702年(大宝2年)入唐。長安の西明寺に滞在し、元康に三論宗を学び、善無畏に密教を伝授される。718年(養老2年)帰国。西明寺を模して大安寺を整備。大般若経転読会を始める。『愚志』を著し仏教界批判を行った。
- 神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。
- 審祥(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。新羅に留学。入唐し、法蔵に華厳宗を学ぶ。帰国後は大安寺に住す。740年(天平12年)から良弁の招きで、東大寺で日本初の華厳宗講義を行う。
- 鑑真(688-763):来日僧。東大寺戒壇院、唐招提寺を創建。墓所は、唐招提寺にある。
- 良弁(689-773):東大寺開山。石山寺開山。義淵に法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。墓は、大和・開善寺跡にある。
- 慈訓(691-777):興福寺別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。
- 道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。嵩山普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。
- 菩提僊那(704-760):東大寺四聖。インド出身。婆羅門僧正。五台山巡礼のために唐を訪れていたが、日本の遣唐使の要請でベトナム僧仏哲、中国僧道センと共に736年(天平8年)に来日。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏の開眼法要で導師を務めた。霊山寺に墓。
- 隆尊(706-760):義淵に法相宗、華厳宗を学ぶ。舎人親王に戒師の招請を建議して鑑真来日のきっかけを作った。東大寺大仏開眼法要の講師を務めた。
- 栄叡(?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、端州龍興寺で客死。
- 普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。東大寺唐禅院に住し、西大寺大鎮となる。業行。
- 道鏡(?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。葛城山で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で孝謙上皇の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。西大寺、西隆寺を創建した。769年(神護景雲3年)に宇佐八幡神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の称徳天皇の崩御後、造下野・薬師寺別当に左遷された。墓所は、龍興寺にある。
- 法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。揚州白塔寺にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の東大寺戒壇院創建を助け、その初代戒和上となった。東大寺唐禅院に住す。
- 行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江崇福寺寺主。晩年は吉野比蘇山寺で修禅に励む。
- 善珠(723-797)法相宗六祖。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、秋篠寺を創建。最澄の招きで延暦寺根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。
- 開成(724-781):光仁天皇皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。勝尾寺を創建。皇室の治定墓が同寺にある。
- 実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、西隆寺の造営にも関わる。東大寺権別当。
- 報恩(?-795):760年(天平宝字4年)に子島寺を創建。備前出身。孝謙天皇、桓武天皇の病気平癒祈願を行う。吉野で修行。
- 行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と天台宗を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。
- 如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。
- 義静(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事。揚州興雲寺住職。唐招提寺で経蔵を整備。
- 思託(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。
- 法載(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。法蔵。
平安時代
- 玄賓(734-818):法相宗六祖。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、桓武天皇の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国湯川山寺に隠遁。平城上皇の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に阿弥陀寺を創建。
- 延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、坂上田村麻呂に帰依を受け、清水寺を創建。子島寺報恩に師事。
- 常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。梵釈寺別当、崇福寺検校を兼ねた。
- 護命(750-834):法相宗僧侶。秦氏。美濃国各務郡出身。美濃国分寺で学び、元興寺万耀に師事。桓武天皇に授戒。最澄の大乗戒壇設置の主要に反対。
- 勤操(754-827):大和出身。秦氏。石淵寺で法華八講を創始。空海の師と言われ、一説には虚空蔵求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、西寺別当を歴任。石淵僧正。
- 徳一(760?-840?):法相宗の僧侶。常陸・中禅寺、会津・慧日寺などを開く。
- 豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。平城上皇に授戒。
- 景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。
- 霊仙(生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。空海や最澄と同時に入唐。醴泉寺に滞在し、般若に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。五台山で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。
- 修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に室生寺を創建。興福寺別当。〓生禅師。
- 空海(774-835):日本真言宗の開祖。東大寺真言院や空海寺を創建。
- 行教(生没年不詳):石清水八幡宮寺の開山。紀氏。行表に師事。860年(貞観2年)、石清水八幡宮を創建。益信の兄。
- 聖宝(832-909):修験道当山派の開祖。真雅から真言宗、三論宗、法相宗、華厳宗を学ぶ。東大寺東南院を創建。理源大師。
- 承俊(?-905):興福寺で出家。東大寺で法相宗と密教を学ぶ。醍醐天皇が勧修寺を創建したときに開山として招かれる。
- 光智(894-979):華厳宗の僧。平氏。東大寺良緒に師事。961年(応和1年)、華厳宗の拠点として東大寺尊勝院を創建。
- 定昭(906-983):興福寺一乗院を創建。藤原師尹の子。大覚寺住職を兼務。東寺長者。興福寺別当。金峰山寺検校。金剛峰寺座主。嵯峨僧都、一乗院僧都とも呼ばれる。
- 清海:超昇寺の僧。清海曼荼羅を感得。
- 奝然(938-1016):東大寺別当。[[京都・清凉寺開山。
- 永観(1033-1111):永観堂禅林寺に住す。
- 隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。興福寺大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。
- 頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。内山永久寺を創建。
- 実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。中川寺を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。
- 尋範(1101-1174):法相宗の僧。大乗院3世。藤原師実の子。内山永久寺に住す。内山僧正。
鎌倉時代
- 重源(1121-1206):東大寺大勧進
- 栄西(1141-1215):東大寺大勧進
- 信円(1153-1224):興福寺を復興
- 貞慶(1155-1213):
- 明恵(1173-1232):高山寺創建
- 良遍(1193-1252):東大寺知足院復興
- 俊ジョウ(1166-1227):真言律宗泉涌寺流の開祖。泉涌寺開山。月輪大師、大興正法国師。
- 覚盛(1194-1249):真言律宗。大和出身。東大寺で自誓受戒。唐招提寺を復興。大悲菩薩。
- 叡尊(1201-1290):真言律宗西大寺流の開祖。大和出身。興福寺の学侶慶玄の子。醍醐寺叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。思円房。興正菩薩。
- 円晴():
- 忍性(1217-1303):大和出身。伴氏。真言律宗西大寺流。叡尊、覚盛に師事。鎌倉・極楽寺を創建。四天王寺別当。忍性菩薩。
- 円照(1220-1277):東大寺の僧。東大寺戒壇院中興と言われる。大和出身。藤原氏。叡尊、禅恵、良忠に師事。東大寺戒壇院主。円爾にも師事。東大寺大勧進職。実相。
- 証玄(1220-1292):真言律宗唐招提寺流の僧。覚盛に受戒。唐招提寺を継ぐ。円律。
- 導御(1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。法金剛院、壬生寺の中興。唐招提寺証玄に師事。法隆寺夢殿で融通念仏を広めるように聖徳太子の託宣を得る。壬生寺、清涼寺などの大念仏会を実施した。円覚十万上人。
- 信空(1231-1316):西大寺長老2世。
- 凝然(1240-1321):東大寺の僧。伊予出身。藤原氏。延暦寺戒壇院で受戒。東大寺円照に師事。華厳、倶舎、律、三論、法相、天台、真言、禅、浄土の各宗に精通し、『八宗綱要』などを記す。東大寺戒壇院長老、唐招提寺長老を務める。示観房。凝然大徳。示観国師。
- 宣瑜(1240-1325):叡尊に師事。伊勢弘正寺住職を経て西大寺3代長老。花園天皇の帰依を受けた。浄覚。
- 湛睿(1271-1347):凝然、禅爾に師事。下総・東禅寺などに住す。武蔵・称名寺第3代長老となる。華厳学の大家でもあった。金沢文庫に多くの仏典の写本を残す。本如。
- 文観(1278-1357):真言律宗西大寺流の僧。立川流の大成者。播磨・一乗寺で学び、叡尊のもとで律僧となる。大和・竹林寺長老。報恩院流を学ぶ。東寺大勧進、醍醐寺座主を歴任。弘真、文観房殊音、小野僧正。
- 聖然(?-1312):三論宗の中興。聖守、証玄に師事。東大寺真言院に住す。
南北朝時代
室町時代
- 志玉():
- 経覚():蓮如の師
江戸時代
- 公慶():東大寺大勧進
- 湛海(1629-1716):真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。神鳳寺円忍の教えを受ける。宝山寺の開山。仏像彫刻の名匠。宝山律師。
近代
- 佐伯定胤():
- 高田好胤():
- 大西良慶():