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皇室の祭祀

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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===鎌倉時代===
===鎌倉時代===
*[[寒巌義尹]]:[[曹洞宗]][[寒巌派]]の開祖。[[後鳥羽天皇]]皇子([[順徳天皇]]皇子とも)。
*[[寒巌義尹]]:[[曹洞宗]][[寒巌派]]の開祖。[[後鳥羽天皇]]皇子([[順徳天皇]]皇子とも)。
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*頼仁親王(1201-1264):天台修験僧。[[児島修験]]の開祖。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、[[五流尊瀧院]]を中興。冷泉宮、児島宮。
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*頼仁親王(1201-1264):天台修験僧。[[児島修験]]の開祖。後鳥羽天皇皇子。[[承久の乱]]に関わった罪で備前児島に流され、[[五流尊瀧院]]を中興。冷泉宮、児島宮。[[頼仁親王墓]]。
*覚仁親王(1198-1266):[[園城寺]]長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。[[後嵯峨上皇]]の[[熊野]]行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。  
*覚仁親王(1198-1266):[[園城寺]]長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。[[後嵯峨上皇]]の[[熊野]]行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。  
*[[善性房]]:[[親鸞]]高弟[[二十四輩]]の第9番。後鳥羽天皇皇子の正懐親王。周観大覚。鸞英。[[常陸・大覚寺]]、[[浄興寺]]を創建。
*[[善性房]]:[[親鸞]]高弟[[二十四輩]]の第9番。後鳥羽天皇皇子の正懐親王。周観大覚。鸞英。[[常陸・大覚寺]]、[[浄興寺]]を創建。

2016年6月9日 (木) 時点における版

目次

概要

皇室の祭祀。宮家の祭祀も参照。

近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、神宮祭祀、宮中三殿の祭祀、勅祭社の祭祀、陵墓祭祀、旧官国幣社・旧指定護国神社臨時祭への奉幣、延暦寺東寺での勅会執行、一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。

歴代天皇


主要皇族

神話時代

飛鳥時代

奈良時代

平安時代

  • 寛忠:敦固親王(宇多天皇皇子)の王子。寛忠僧正。
  • 明観:佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。明観僧正。
  • 覚源:花山天皇皇子。覚源僧正。
  • 深観:真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。

鎌倉時代

南北朝時代

室町時代

江戸時代

明治時代

  • 久邇宮朝彦親王(1824-1891):青蓮院門跡。天台宗僧、神職。伏見宮邦家親王の第4王子。興福寺一乗院門跡。天台座主。還俗して神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。尊応法親王、尊融法親王。
  • 久我誓円(1828-1910):善光寺大本願住職。浄土宗尼。伏見宮邦家親王の第3王女。久我通明養女。京都の華頂宮邸跡に得浄明院を創建。
  • 伏見宮文秀女王(1844-1926):円照寺門跡臨済宗尼。皇族最後の僧侶。伏見宮邦家親王の第7王女。
  • 能久親王(1847-1895):最後の輪王寺宮。天台宗僧。東武皇帝。邦家親王の第9王子。台湾神宮祭神。
  • 渋谷家教(清棲家教)(1862-1923):仏光寺26世。浄土真宗僧。伏見宮邦家親王の第15王子。のち還俗。

王権と関わる祭祀

皇霊祭祀

神社祭祀

仏教祭祀

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%A5%AD%E7%A5%80」より作成

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