ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

修験道の年表

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年12月12日 (月)

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修験道の年表。

目次

奈良時代

  • 538年:一説に仏教、日本に伝来。(資料A1)
  • 552年:一説に仏教、日本に伝来。(資料A1)
  • 587年(用明2年):仏教崇敬の是非をめぐり、蘇我氏物部氏が合戦。(資料B1)
  • 592年(崇峻5年):崇峻天皇、弑逆される(資料B1)。崇峻天皇皇子蜂子皇子、東北に逃れるという。
  • 593年(推古1年)4月10日:聖徳太子推古天皇の摂政となる。(資料C1)
  • 593年(推古1年):蜂子皇子、出羽三山を開くという。(出羽三山神社ウェブサイト)
  • 594年(推古2年)2月1日:推古天皇、三宝興隆の詔を発する。(資料C1)
  • 634年(舒明6年)1月1日:役小角、大和国葛上郡芽原郷矢箱村(吉祥草寺)で生誕という。(資料W01)
  • 658年(斉明4年):役小角、箕面の瀧龍樹菩薩の出現を感得。龍樹から灌頂を受ける。(資料W01)
  • 667年(天智6年):天智天皇大津京遷都(資料A1)。崇福寺創建。このとき、日吉大社大神神社から大己貴神の分霊を招き、祀ったという(『日吉社禰宜口伝抄』資料D)。また天智天皇は夢告を得て念持仏の弥勒菩薩を祀る新たな寺院の創建を発願、計画は中断するが、のちの園城寺という(資料D、資料W01)。
  • 672年(弘文1年/天武1年):壬申の乱で天武天皇が勝利。一説にこの頃、園城寺創建。(『岩波仏教辞典第二版』、資料W01)
  • 686年(天武15年):一説に大友与多、屋敷を寄進して園城寺とする(『扶桑略記』)(資料D)
  • 694年(持統8年)12月4日:持統天皇藤原京に遷都。(資料C1)
  • 699年(文武3年)5月24日:後世に修験道開祖とされる役小角、伊豆大島に配流となる。(資料C1)
  • 701年(大宝1年)6月7日:役小角、箕面の天上ケ岳に登り、生母とともに昇天したという。異説あり。(資料W01)
  • 702年(大宝2年):泰澄、鎮護国家法師となる(資料C1)。
  • 710年(和銅3年)3月10日:元明天皇平城京に都を遷す。(資料C1)
  • 712年(和銅5年)1月28日:『古事記』成立。大山咋神(山末之大主神)が日枝山(比叡山)に鎮座しているとの記述。(『古事記』)
  • 717年(養老1年):泰澄、白山に入る。(資料C1)
  • 752年(天平勝宝4年)4月9日:東大寺大仏、開眼供養。(資料C1)
  • 766年(天平神護2年):勝道日光に入り、四本龍寺創建。(資料E)
  • 767年(神護景雲元年):最澄、近江国滋賀郡古市郷(生源寺の地)で生誕。(資料D)
  • 769年(神護景雲3年):宇佐神宮神託事件。(資料B1)
  • 770年(宝亀1年):粉河寺創建。(資料C1)
  • 782年(延暦1年):勝道、日光男体山に登頂。()

平安時代

  • 784年(延暦3年):桓武天皇長岡京遷都。(資料A1)
  • 784年(延暦3年):勝道日光中禅寺日光二荒山神社(現在の中宮祠)を創建。(資料E)
  • 788年(延暦7年)12月:最澄、比叡山寺(一乗止観院)を創建。(資料K)
  • 794年(延暦13年)10月24日:平安京遷都。(資料K)
  • 794年(延暦13年):円仁、下野国都賀郡で生誕。(資料D)
  • 796年(延暦15年):東寺西寺鞍馬寺を創建。(資料A1)
  • 796年(延暦15年):勤操石淵寺で法華八講を行う。法華八講の起源とされる。(『三宝絵』『岩波仏教辞典第二版』)
  • 802年(延暦21年):最澄、高雄山寺で五カ月に渡る法華会を開く。(資料D)
  • 804年(延暦23年):最澄入唐。空海も同時。(資料B1)
  • 806年(大同1年)1月26日:最澄、天台宗に2人の年分度者が認められる(資料C1)。これをもって日本天台宗の創始とする。
  • 819年:日光の四本龍寺、勅により満願寺と称す。(資料E)
  • 812年(弘仁3年)11月15日:空海、高雄山寺で金剛界結縁灌頂を行い、最澄これを受ける。(資料C1)
  • 812年10月18日:熊野別当を設置し、快慶を任命。(新宮市ウェブサイト)
  • 813年(弘仁4年)3月6日:空海、高雄山寺で金剛界灌頂を行い、最澄これを受ける。(資料C1)
  • 813年(弘仁4年)11月25日:最澄、空海に理趣経の借用を依頼するが拒否される。(資料C1)
  • 814年(弘仁5年)3月:最澄、宇佐八幡宮で法華経を講ずる。(資料C1)
  • 814年(弘仁5年)3月25日:円珍、和気宅成の子として讃岐国那珂郡金倉郷(金倉寺)で生誕。(資料W04)
  • 817年(弘仁8年):この年から821年(弘仁12年)まで、最澄と法相宗徳一が三一権実論争を行う。(『世界大百科事典』)
  • 817年(弘仁8年):勝道、死去。(資料E)
  • 818年(弘仁9年):最澄、従来の戒律を「小乗戒」として否定し、戒律を破棄。大乗戒を主張。「六条式」「八条式」を記し、翌年に成立した「四条式」とともに『山家学生式』と呼ばれる。『守護国界章』を記す。九院十六院の構想を表す。(『岩波仏教辞典第二版』資料D)
  • 818年(弘仁9年):円珍、5歳のとき、鬼子母神が出現し、守護することを託宣。(資料W04)
  • 822年(弘仁13年)6月4日:最澄、延暦寺中道房で死去。11日、大乗戒壇(延暦寺戒壇院)設立の許可。(資料C1)
  • 823年(弘仁14年)2月:比叡山寺を「延暦寺」と改める。この年6月、初めて最澄の報恩法要である「六月会」を勤修。(資料C1)
  • 823年(弘仁14年):円澄(のち第2代天台座主)、桓武天皇の招請で宮中紫宸殿で秘法を修す。延暦寺の御衣加持御修法(みしほ)の起源。(真言宗の後七日御修法は承和1年(834)創始)(資料D)
  • 824年(天長1年)6月22日:義真、初代天台座主となる。就任をめぐり義真と円澄が争う。(資料D、資料C1)
  • 829年(天長6年)9月29日:円仁、寿命が短いと感じ、比叡山の奥地に草庵を開く。横川地区および首楞厳院(横川中堂)の起源。(資料D、資料C1)
  • 833年(天長10年)4月15日:円珍、延暦寺で受戒。以後、比叡山で十二年籠山行(承和12年(846)まで)(資料C1)
  • 835年(承和2年):園城寺西南守護神として藤尾神社を創建。(資料W01)
  • 838年(承和5年):円仁、入唐。(資料B1)
  • 838年(承和5年)冬:円珍、洞窟で修行中に「黄不動」を感得。(『天台宗延暦寺座主円珍伝』、資料W01)
  • 840年(承和7年)7月5日:播磨国大道寺清妙寺観音寺を天台別院とする。(資料C1)
  • 845年(承和12年):十二年籠山行を終えた円珍、大峰山葛城山熊野三山を巡礼したという。那智の瀧で一千日の参籠修行をしたという。(資料W01)
  • 848年(嘉祥1年)3月26日:円仁、10年間の滞在を終え、帰国。(資料C1)(『岩波仏教辞典第二版』では前年。)
  • 848年(嘉祥1年):円仁、日光を訪れるという。(資料E)
  • 850年(嘉祥3年)3月:円仁、横川に根本観音堂(横川中堂)を創建。(資料B1)
  • 850年(嘉祥3年)春:円珍、山王明神の霊夢を見て、入唐を勧められる。翌年春にも出現。(資料W05)(資料W01では846年(承和13年)とする)
  • 850年(嘉祥3年):日光二荒山神社(現在の本社)を創建。(資料E)
  • 851年(仁寿1年)4月15日:円珍、入唐のため、京都を出発。海印寺で伯父道雄と面会。(資料W05)
  • 851年(仁寿1年)8月:円仁、常行三昧院を建立。延暦寺で初めて中国五台山伝来の引声念仏を行う。常行三昧の創始ともみなされる。比叡山浄土教、天台浄土教の創始。(資料D)(資料C1では865年8月11日~17日とする)
  • 853年(仁寿3年)7月16日:円珍、入唐。乗船。(資料C1、資料W05)
  • 858年(天安2年)6月19日:円珍、6年の滞在を終え帰国。肥前国松浦美旻楽崎に到着。22日に博多鴻臚館に到着。のち大宰府に移動し、四王院に滞在。(資料W05)
  • 859年(貞観1年):相応、修行の地を求め、比良山の奥地に入り、思古淵神の託宣を受け不動明王を感得し、葛川明王院を創建。比叡山修験の創始。(資料D)
  • 860年(貞観2年):円仁、立石寺を創建。(資料C1)
  • 860年(貞観2年)2月:円珍、新羅善神堂創建。(資料W05)
  • 862年(貞観4年)10月:円珍、園城寺別当に就任(資料W05)。園城寺復興に合わせて鬼子母神が再び出現、園城寺の守護神となり、鬼子母神堂に祀られる(資料W04)。貞観8年(866)春まで園城寺に滞在(資料W05)。
  • 864年(貞観6年)1月14日:円仁死去。(資料C1)
  • 864年(貞観6年)3月27日:最澄と空海に法印大和尚位を追贈。(資料C1)
  • 865年(貞観7年):相応、延暦寺に無動寺を創建。葛川明王院とともに比叡山修験の拠点となる。(資料D)
  • 866年(貞観8年)5月29日:円珍に真言・止観両宗弘伝の許可(公験)。現在、この日を天台寺門宗の開宗の日とする。(資料W01)
  • 866年(貞観8年)7月14日:最澄に「伝教大師」号、円仁に「慈覚大師」号が下賜される。(資料C1)
  • 868年(貞観10年)6月3日:円珍、第5代天台座主となる(資料C1)。同月、園城寺を伝法灌頂の道場とすることが認可され、請来経典を園城寺唐院に移す(資料W05)。
  • 868年(貞観10年):赤山明神が祀られる(『赤山明神縁起』資料K)
  • 879年(元慶3年):聖宝、吉野から熊野に至り、逆峰の入峰を始めるという。(新宮市ウェブサイト)
  • 880年(元慶4年):日吉大社の大宮(西本宮)、正一位となる。(資料D)
  • 883年(元慶7年)3月26日:円珍、法眼和尚位。天台僧綱の創始。(資料C1)
  • 887年(仁和3年):円珍、根本薬師堂・文殊堂・経蔵を一つに統合した根本中堂を建立。(資料D)
  • 890年(寛平2年)12月27日:天台座主円珍、少僧都となる。天台座主僧綱の始まり。(資料C1)
  • 907年(延喜7年)10月2日:宇多法皇、熊野行幸。熊野行幸の初見。(『日本紀略』資料K)
  • 907年(延喜7年):<中国>唐、滅亡。五代十国の時代へ。(資料A1)
  • 916年(延喜16年):金剛峰寺無空、『三十帖冊子』を携え、園城寺に隠れる。(資料C1)
  • 924年(延長2年)2月18日:新羅明神を比叡山赤山禅院の近くに祀る。(資料C1)
  • 927年(延長5年)12月27日:円珍に「智証大師」号下賜。(資料C1)
  • 927年(延長5年)12月:延喜式完成。()
  • 935年(承平5年)3月5日:比叡山、大火災。伽藍焼失。(資料D)
  • 936年(承平6年):<朝鮮>高句麗が朝鮮半島を統一。(資料A1)
  • 941年(天慶4年)8月:増賀、金峰山で修行中に地獄に赴き、菅原道真醍醐天皇に出会うという。(資料C1)
  • 948年(天暦2年)10月1日:多武峰寺法華八講恒例となる。このころ延暦寺末となる。(『多武峰略記』資料K)
  • 950年(天暦4年):良源、護持僧となり、憲仁親王(のちの冷泉天皇)誕生の祈祷を行う。その外祖父藤原師輔の庇護を得る。(資料D)
  • 960年(天徳4年):<中国>宋(北宋)興る。(資料A1)
  • 966年(康保3年)8月27日:良源、第8代天台座主。(資料C1)
  • 966年(康保3年)10月28日:比叡山で大火災。伽藍焼失。(資料D、資料C1)
  • 970年(天禄1年)7月:良源「二十六箇条制式」を制定。僧侶の武装を禁止していることから当時既に僧兵が出現しつつあったことが分かる。(資料D)
  • 970年(天禄1年)9月8日:金峰山寺、焼失。(資料C1)
  • 972年(天禄3年)1月:延暦寺の横川地区が東塔・西塔を並ぶ三塔の一つとして独立。(資料B1)
  • 979年(天元2年):藤原兼家、延暦寺横川に恵心院を創建。(資料B1)
  • 980年(天元3年)9月20日:良源、延暦寺根本中堂再建。円融天皇行幸。966年(康保3年)の火災で焼失した伽藍の復興がなる。(資料D)
  • 981年(天元4年)12月:円仁の弟子たちと円珍の弟子たちが、法性寺座主職を争い、円仁の弟子たちが勝つ。代々円仁系が就任してきたがこの年円珍系の鈴慶が就任した。これに円仁の弟子が抗議し鈴慶はすぐに辞任した。この騒動で円仁門徒と円珍門徒の対立が決定的となる。(資料D)
  • 985年(寛和1年)2月27日:藤原師輔の子尋禅が天台座主となる(資料C1)。貴族の天台座主就任の始まり。(資料B1)
  • 988年(永延2年):性空、書写山円教寺を創建。(資料C1)
  • 990年(正暦1年):尋禅、自坊の飯室谷の妙香院に父藤原師輔から与えられた荘園を寄進し、2月14日一条天皇の御願寺とした。同時に不動堂を建立し、これがのちの飯室不動堂となったとされる。(資料D資料C1)
  • 991年:花山法皇、熊野行幸。西国三十三所霊場を復興したとされる。(新宮市ウェブサイト)
  • 993年(正暦4年)8月8日:円仁系と円珍系の僧侶が争乱。円珍の門徒らが延暦寺を下り園城寺に入る。延暦寺千手院の円珍像を園城寺唐坊に奉遷。日本天台宗、延暦寺を本山とする山門派と園城寺を本山とする寺門派に別れる。(資料C1、資料W01)
  • 997年(長徳3年)9月:信弘・平山、鸚鵡花綬鏡を三仏寺に奉納。(資料B1)
  • 1003年(長保5年):多武峰寺増賀死去(資料A1)
  • 1007年(寛弘4年)3月10日:性空死去。(資料C1)
  • 1007年(寛弘4年)8月11日:藤原道長吉野参詣。金峰山の山頂に経筒を埋納。(資料C1)
  • 1014年(長和3年)7月:藤原頼通、吉野参詣。(資料B1)
  • 1025年(万寿2年)3月12日:日吉大社で山王礼拝講が始まる。延暦寺の僧侶が最澄の遺誡に背いたため山王権現がこの地を去ると託宣したので、神慮を慰めるために法華八講を始めたのが起源という。(「御礼拝講記」『耀天記』資料K資料D)
  • 1028年(長元1年)10月13日:金峰山寺僧徒、大和守藤原保昌の非法を訴える。(資料C1)
  • 1029年(長元2年)5月19日:金峰山寺検校を尋問。(資料C1)
  • 1039年(長暦3年)5月:園城寺、戒壇設置を請願。以後、200年以上にわたって請願を続ける。(資料B1)(資料C1では3月)
  • 1039年(長暦3年):明尊、円満院を創建。(資料D)
  • 1049年(永承4年)7月1日:藤原頼通、金峰山参詣。(資料C1)
  • 1049年(永承4年)10月27日:大僧都円縁、金峰山検校となる。(資料C1)
  • 1051年(永承6年):前九年の役始まる。源頼義、安倍氏征討にあたり園城寺新羅善神堂で戦勝祈願。(資料D)
  • 1052年(永承7年):この頃から末法思想が盛んとなる。(資料A1)
  • 1062年(康平5年):前九年の役終わる。源頼義は戦勝祈願の報賽のため、子を園城寺で出家させて快誉とした。また子の源義光は新羅善神堂前で元服し新羅三郎と呼ばれる。(資料D)
  • 1081年(永保1年)3月:多武峰寺、興福寺と対立を深める。5日、興福寺僧が多武峰の民家を焼く。25日多武峰の僧徒、京都に強訴。(資料C1)
  • 1081年(永保1年)4月:延暦寺と園城寺の抗争激化。分裂以後、最初の大きな争乱。大津浦の神人の貴族をめぐって争う。15日、園城寺僧徒、日吉祭を妨害。28日、延暦寺僧徒が園城寺を襲撃、放火してほとんどの伽藍が焼失。6月9日再び延暦寺が園城寺を襲撃。7月6日、園城寺、戒壇設置を請願。(『扶桑略記』『為房卿記』資料K資料D資料C1)
  • 1082年(永保2年)10月17日:熊野僧徒、神輿を奉じて入京。強訴。以降、各地の社寺の強訴が頻発。(『扶桑略記』資料K)
  • 1083年(永保3年)9月:後三年の役。(資料K)
  • 1083年:熊野信仰で「三所権現」の語、初出。この頃までには熊野三山が成立。(新宮市ウェブサイト)
  • 1084年(応徳1年)4月11日:園城寺金堂再建。(資料C1)
  • 1086年(応徳3年):白河上皇院政開始。院政時代の始まり。またこの頃から100年間にわたり熊野行幸が盛んとなる。白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇。(資料K)
  • 1090年(寛治4年)1月:白河上皇、熊野行幸。熊野三山検校を設置し、増誉を任命、聖護院創建。(資料B1)
  • 1093年(寛治7年)3月18日:熊野先達、禁中に乱入。(『中右記』資料K)
  • 1093年(寛治7年)11月3日:興福寺僧徒、金峰山寺を襲撃。(資料C1)
  • 1094年(嘉保1年)閏3月:伯耆大山伯耆・大山寺僧徒、上皇に天台座主を訴える(資料B1)
  • 1094年(嘉保1年)5月:英彦山僧徒、蜂起(資料C1)
  • 1096年(永長1年)3月10日:熊野本宮大社焼失。(資料C1)
  • 1096年(永長1年)3月18日:慈応、広く勧進写経を行い、金峰山寺に奉納。(資料C1)
  • 1097年(承徳1年)8月16日:皇太子誕生祈願のため、良意、金峰山で宸筆仁王経を供養。(資料C1)
  • 1101年(康和3年)4月:興福寺僧徒と金峰山寺僧徒が争う(資料B1)
  • 1103年:増誉、聖護院熊野神社創建(新宮市ウェブサイト)
  • 1108年(天仁1年)9月10日:多武峰寺、興福寺の焼き討ちを受ける。多武峰寺、延暦寺に支援を求め、南都北嶺の緊張が高まる。(資料D資料C1)
  • 1109年(天仁2年)5月:延暦寺僧徒、興福寺末の清水寺別当を訴える。(資料B1)
  • 1115年(永久3年)4月21日:日吉大社、初めて三宮の神輿を調進。山王七社成立の下限とされる。(『耀天記』資料K)
  • 1116年(永久4年)1月29日:増誉死去。(資料C1)
  • 1121年(保安2年)6月:白河法皇、熊野で一切経供養。(資料B1)
  • 1126年(大治1年)12月19日:鞍馬寺焼失。(資料C1)
  • 1127年(大治2年):<中国>南宋成立。(『岩波仏教辞典 第二版』)
  • 1129年11月20日:熊野新宮の僧徒、高野山の住民と合戦。熊野側4人死傷。(新宮市ウェブサイト)
  • 1145年(久安1年)7月:興福寺僧徒、金峰山を攻める。9月まで。(資料C1)
  • 1146年(久安2年)4月7日:加賀白山を延暦寺別院とする。(資料K)
  • 1146年(久安2年)4月25日:金峰山寺僧徒、大和宇智郡司と戦闘(資料C1)
  • 1147年(久安3年)4月7日:延暦寺衆徒、越前の白山神社を延暦寺末とするように請願(資料C1)
  • 1152年(仁平2年)5月:平清盛、大般若経を書写して伯耆の大山寺に奉納。(資料C1)
  • 1152年(仁平2年)9月:白山比咩神社、延暦寺末となる(資料B1)
  • 1153年(仁平3年):静誉を法橋とする。那智山僧綱の始め。(資料C1)
  • 1159年(平治1年)12月4日:平清盛、熊野参詣。(資料C1)
  • 1159年:行慶、園城寺に熊野神社を祀る。(新宮市ウェブサイト)
  • 1160年(永暦1年)10月16日:新熊野神社新日吉神社を創建。(『百錬抄』資料K)
  • 1160年:延暦寺本覚院昌雲、新日吉検校となり、妙法院を創建。(京都市ウェブサイト)
  • 1161年(応保1年):園城寺長吏覚忠、西国霊場を巡礼。西国霊場の最古の記録。(資料B1)
  • 1163年(長寛1年)4月7日:伊勢神宮と熊野権現が同体なのかを諮問。(「長寛勘文」資料C1)
  • 1169年(嘉応1年)4月21日:興福寺、金峰山寺衆徒の通行を妨害。(資料C1)
  • 1172年(承安2年)8月24日:多武峰寺、興福寺と不和。(資料C1)
  • 1174年(承安3年)6月25日:興福寺僧徒、多武峰寺を焼く。(資料C1)

鎌倉時代

南北朝時代

室町時代

江戸時代

近代

廃仏毀釈の衝撃と修験道禁止

  • 1840年(天保11年):<中国>アヘン戦争。(資料B1)
  • 1853年(嘉永6年)6月:ペリー来航。(資料B1)
  • 1854年(安政1年)4月6日:御所炎上、孝明天皇聖護院門跡に行幸し、仮御所とする。(資料W02)
  • 1857年(安政4年)11月25日:勅により園城寺で祈祷。(資料W02)
  • 1858年(安政5年)6月19日:幕府、日米修好通商条約に調印。9月7日から安政の大獄始まる。(資料K)
  • 1863年(文久3年)3月:英彦山尊皇派弾圧事件英彦山、山口藩に加勢。小倉藩はこれを察知し、多くの山伏が処刑される。(資料H)
  • 1863年(文久3年)5月10日:下関砲撃事件始まる。7月2日には薩英戦争(資料K)
  • 1864年(元治1年)7月:禁門の変で京都大火。(資料B1)
  • 1865年(慶応1年)4月:日光東照宮で徳川家康250回忌。(資料B1)
  • 1867年(慶応3年)5月:寛永寺焼失。(資料B1)
  • 1867年(慶応3年):法親王を還俗させる。(資料K)
  • 1868年(明治1年)1月:戊辰戦争開戦。(資料B1)
  • 1868年(明治1年)1月7日:聖護院宮雄仁親王、還俗して嘉言親王を称す。9日、園城寺長吏を廃し園城寺別当とし、修験宗を管領。(資料W02)
  • 1868年(明治1年)3月17日:政府、社僧を還俗させる。(資料B1)
  • 1868年(明治1年)3月28日:神仏判然令。(資料B1)
  • 1868年(明治1年)4月1日:延暦寺が日吉大社の神仏分離を渋ったため、神職と地元住民は本殿に乱入して仏具の撤去を強行。5日になってようやく天台座主は日吉大社に本殿を鍵を引き渡した。(資料D)
  • 1868年(明治1年)6月13日:政府、金峰山寺蔵王権現の神号呼称と僧侶還俗を命令。吉野の神仏分離の始まり。(資料H)
  • 1868年(明治1年)6月16日:奥羽列藩同盟結成。輪王寺宮公現法親王が盟主となる。一説には「東武皇帝」を称したという。()
  • 1868年(明治1年)8月10日:嘉言親王、園城寺別当を辞任。1月15日に還俗した照高院宮智成親王が園城寺別当となる。(資料B1)
  • 1868年(明治1年)9月8日:明治改元。一世一元制を採用。(資料C1)
  • 1868年(明治1年)12月8日:仏教各宗の代表者、京都興正寺に集まり、護法・邪教排斥・宗派の旧弊一洗・学校経営・人材育成のため諸宗同徳会盟を結成(大教院設立へ)。(資料C1)
  • 1869年(明治2年)1月:円満院門跡、大津県庁となる。明治20年に返還される。(資料B1)
  • 1869年(明治2年)3月28日:東京遷都(資料C1)
  • 1869年(明治2年)4月:諸宗同徳会盟、東京増上寺で会合(資料C1)
  • 1869年(明治2年)5月18日:この頃、羽黒山で神仏分離が始まる。(資料H)
  • 1869年(明治2年)12月:政府、妙法院門主、青蓮院門主、梶井(三千院)門主に天台宗管領を命じる。(資料G01)
  • 1870年(明治3年)1月:大教宣布の詔。(資料B1)
  • 1870年(明治3年)3月28日:政府、寛永寺と満願寺(現・輪王寺)を本山から外し、延暦寺のみを本山として、天台宗を管轄させる。(資料G01)
  • 1870年(明治3年)5月21日:東京府、仏教諸宗に教理と僧侶構成について四箇条の尋問書を送る。同月、政府、仏教諸宗に「宗門大意」を著すように命ずる。(資料C1)
  • 1870年(明治3年)6月29日:政府、修験は全て仏徒とみなす見解を示す。(資料H)
  • 1870年(明治3年)7月28日:太政官、民部省に府県管内寺院の本末帳の提出を求める。(資料C1)
  • 1870年(明治3年)8月19日:大蔵省戸籍寮に社寺課を設置。神祇省直轄以外の社寺を管轄する。(資料C1)
  • 1870年(明治3年)閏10月17日:天社神道(土御門神道)を禁止。(資料Q2)
  • 1870年(明治3年)閏10月20日:民部省社寺掛を寺院寮と改称。(資料C1)
  • 1870年(明治3年)閏10月:自光坊快孝、大峰葛城に千日参籠を聖護院に出願し許可。(資料Q2)
  • 1870年(明治3年):聖護院、「本山修験宗派法則」制定。(資料H)
  • 1871年(明治4年)1月5日:寺社領上知令(資料A1)。2月4日、園城寺は現境内以外を上地(資料W02)。
  • 1871年(明治4年)5月:門跡、院家などの称を廃止。(資料C1)
  • 1871年(明治4年)7月27日:民部省、寺院寮を廃止して大蔵省に移管。8月19日大蔵省戸籍寮に社寺課を設置。神祇省直轄以外の社寺を管轄する。(資料C1)
  • 1871年(明治4年)9月:浄土真宗の島地黙雷、政府に教部省設置を建議。(資料C1)
  • 1871年(明治4年)10月:六十六部と普化宗を禁止(資料Q2)
  • 1871年(明治4年)10月3日:宗門人別帳、寺請制度廃止(資料A1)。
  • 1871年(明治4年):住職進退を府県の管轄とする(資料F)
  • 1871年(明治4年):勅願所、勅修法会を廃止(資料F)。
  • 1871年(明治4年):三宝院門跡の易宮が還俗して閑院宮載仁親王と称す。(資料Q2)
  • 1872年(明治5年)3月14日:教部省設置。4月25日教導職設置。28日、三条教則発布。(資料A1)
  • 1872年(明治5年)3月27日:社寺の女人禁制を廃止。(資料A1)
  • 1872年(明治5年)6月9日:教部省、各宗に教導職管長一名を置くように命ずる。(資料C1)
  • 1872年(明治5年)8月3日:園城寺山科祐玉、天台宗(合同天台宗・第一次)管長に就任。(資料W02)
  • 1872年(明治5年)9月15日:修験道を廃止し、既存の寺院は真言宗か天台宗への所属を命じる。 (資料A1)
  • 1872年(明治5年)10月3日:政府、教部省番外で仏教7宗(天台宗、真言宗、浄土宗禅宗真宗日蓮宗時宗)に管長を設置。(資料G02)
  • 1872年(明治5年)10月25日:教部省を文部省に合併。(資料C1)
  • 1872年(明治5年)11月24日:神道仏教合同で半官半民の教育研究機関大教院設置。(資料A1)
  • 1872年(明治5年)12月3日:太陽暦を採用し、この日を明治6年(1873)1月1日とする。(資料A1)
  • 1872年(明治5年):僧位僧官を廃止。(資料F)
  • 1872年(明治5年):僧侶に苗字を名乗らせる(資料F)
  • 1872年(明治5年):園城寺、政所廃止。宝寿院を法務所とする。(資料D)
  • 1873年(明治6年)1月8日:仮大教院で開院式。6月1日、増上寺本堂が大教院神殿となり、開院式。(資料C1)
  • 1873年(明治6年)1月19日:政府、僧侶の位階を廃止。(資料C1)
  • 1873年(明治6年)3月:教部省、出羽神社宮司に西川須賀雄を任命。以降、出羽三山の神仏分離が本格化。(資料H)
  • 1873年(明治6年)5月:政府、三宝院と地方庁に真言宗に帰入した修験者を調査させる。(資料Q2)
  • 1873年(明治6年):下山応助、御嶽教会を設立(のちの御嶽教)。(資料P)
  • 1874年(明治7年)2月9日:教導職管長を各派に置くと通達。(資料C1)
  • 1874年(明治7年)5月19日:天台宗寺門派、合同天台宗から独立。管長設置許可。23日、東京府芝に天台寺門宗務局を設置。(資料W02)。聖護院が寺門派に所属する一方、羽黒、吉野は延暦寺末に留まる。(資料Q)
  • 1874年(明治7年):奈良県庁、金峰山寺を廃止し、金峰神社を創建。現在の金峰神社を本社とし、現在の金峰山寺蔵王堂を口の宮、現在の大峰山寺を奥宮とした。(資料H)
  • 1874年(明治7年):真言宗に帰入した旧修験者を三宝院に集め、真言宗得度式を実施。(資料Q2)
  • 1875年(明治8年)1月29日:大教院から浄土真宗が離脱。5月3日大教院解散。(資料A1)
  • 1875年(明治8年)9月17日:天台宗寺門派大教院を設置。開莚式。(資料W02)
  • 1875年(明治8年)9月30日:園城寺、別当を廃して住職設置。園城寺住職を貫主と呼称。(資料W02)
  • 1875年(明治8年)11月27日:教部省、信教の自由を通達。(資料C1)
  • 1877年(明治10年)1月19日:教部省廃止。内務省に社寺局設置。(資料A1)
  • 1877年(明治10年)2月:西南戦争。9月まで。(資料B1)
  • 1878年(明治11年)5月6日:天台宗真盛派、公認。管長設置。内務省戊第5号達。(資料G02)。管長を勅任官取扱とする。率渓考恭(真朗)が初代管長となる。(『天台宗真盛派年表』)
  • 1879年(明治12年)2月:醍醐寺を智豊両派で管理する。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1879年(明治12年)9月:醍醐寺出張所を東京真福寺に設置。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1879年(明治12年)12月15日:天台宗寺門派管長を園城寺住職の充て職とし、園城寺住職は聖護院門跡円満院門跡実相院門跡の住職の輪番とする。(資料W02)
  • 1879年(明治12年):真言宗では、旧修験を「近士」と呼称。(資料Q2)
  • 1879年(明治12年):東南院、仏寺に復帰。翌年には竹林院・桜本坊も仏寺に復帰。(1986『修験道辞典』)
  • 1881年(明治14年)2月23日:神道界の祭神論争決着。以後、神社を「非宗教」とするとともに限定的な政教分離の方針が定まっていく。同時に宗教教団として教派神道の形成が進む。(資料C1)
  • 1881年(明治14年):日光輪王寺三仏堂を日光二荒山神社の横から現在地に移築。日光山の神仏分離が一段落。(資料E)
  • 1881年(明治14年):実利、那智に参籠。(資料Q2)
  • 1881年(明治14年):醍醐寺、恵印学校設置。(1986『修験道辞典』)
  • 1882年(明治15年)1月24日:神官教導職分離。5月15日教派神道各派独立。(資料A1)
  • 1882年(明治15年)4月:内務省、寛永寺などに営繕費を下付。(資料C1)
  • 1882年(明治15年):園城寺旧鎮守新宮大明神、長等神社と改称する。(資料D)
  • 1882年(明治15年)9月:神道御嶽派、特立。11月、御嶽教と改称。(資料P)
  • 1883年(明治16年):日光の満願寺を輪王寺と改称。(資料F)
  • 1884年(明治17年)8月11日:教導職廃止。 (資料A1)
  • 1884年(明治17年)9月6日:天台宗寺門派、管長の呼称を長吏とする。(資料W02)
  • 1884年(明治17年):天台座主の公称許可。(資料F)
  • 1884年(明治17年):実利、那智の滝に捨身。(資料Q2)
  • 1885年(明治18年)3月:政府、仏教各宗に宗制寺法の制定を命じる。(資料C1)
  • 1885年(明治18年)3月29日:旧門跡寺院の門跡の私称を許可。(資料C1)
  • 1885年(明治18年):日光輪王寺を別院とする。(資料F)
  • 1885年(明治18年):天台宗大学(のちの大正大学)、設立。(資料W03)
  • 1885年(明治18年)11月:金剛峰寺、仁和寺、大覚寺、三宝院、勧修寺、随心院、泉涌寺が合同で「真言宗」となり、智積院と長谷寺は別に「真言宗新義派」と称す。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1886年(明治19年)1月16日:内務省社寺局に神祇課と寺院課を設置。(資料C1)

活動の再開

  • 1886年(明治19年):金峰山寺・喜蔵院、仏寺に復帰。(1986『修験道辞典』)
  • 1886年(明治19年)9月:聖護院、深仙灌頂会を勤修。37年ぶり。以後、大規模な峰入りが盛んに行われる。(資料H)
  • 1888年(明治21年):吉野喜蔵院、明治に廃絶となっていたが聖護院末として復興。(資料H)
  • 1889年(明治22年)2月11日:大日本帝国憲法公布。信教の自由を認める。神官僧侶の被選挙権は認めず。(資料C1)
  • 1889年(明治22年)6月12日:仏教各宗の代表者36人、築地本願寺に集まり、各宗協会を設置。(資料C1)
  • 1889年(明治22年):熊野川水害で熊野本宮大社大破。()
  • 1889年(明治22年):宝満山で峰入り復興。しかし、継続せず。(清原倫子2014「ちくしの散歩 国指定史跡宝満山」)
  • 1890年(明治23年)10月27日:園城寺、円珍1000年遠忌執行。(資料B1)
  • 1890年(明治23年)10月30日:政府、教育勅語発布。(資料A1)
  • 1891年(明治24年)1月9日:内村鑑三教育勅語不敬事件。(資料A1)
  • 1891年(明治24年):鞍馬寺、山門焼失。(資料F)
  • 1891年(明治24年):熊野本宮大社、現在地に再建。()
  • 1894年(明治27年)4月:醍醐寺末寺の約1900寺が智山派となる。(資料Q)
  • 1894年(明治27年)8月1日:日清戦争開戦。翌年4月まで。(資料A1)
  • 1895年(明治28年):神仏各教派宗派に教師検定条規標準の制定を命じる。(資料F)
  • 1895年(明治28年)7月:醍醐寺末寺の約1500寺が豊山派となる。醍醐寺の末寺は160寺に激減。(資料Q)
  • 1896年(明治29年):醍醐寺や金剛峰寺、合同真言宗からの独立を主張。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1896年(明治29年)10月:園城寺、智顗1300年遠忌執行。(資料B1)
  • 1897年(明治30年)6月10日:古社寺保存法。(資料A1)
  • 1899年(明治32年)5月:宗教法案の議論本格化。石川俊台『宗教法私見』を著す。(資料C1)
  • 1899年(明治32年)5月11日:園城寺、役小角1200年遠忌法要執行。翌日から聖護院の遠忌記念の峰入りが始まり、園城寺を5000人規模で出発(6月1日成満)。以後、聖護院峰入りは毎年の恒例となり、明治初年の廃止命令で大打撃を受けた修験道の復興が一段落。(資料H)
  • 1900年(明治33年)5月:三宝院、役小角1200年遠忌の峰入りを執行。(資料Q2)
  • 1900年(明治33年)2月17日:貴族院、宗教法案を否決。(資料C1)
  • 1900年(明治33年)4月27日:内務省社寺局、神社局と宗教局に分離。 (資料A1)
  • 1900年(明治33年)6月5日:帝国仏教会を日本大菩提会と改称。(資料C1)
  • 1900年(明治33年)7月:シャム国王寄贈の仏骨が日本に到着。仮に妙法院に奉安される。(資料F)
  • 1900年(明治33年)8月9日:真言宗醍醐派、独立認可。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1901年(明治34年):延暦寺無動寺で創建1000年記念法要。(資料H)
  • 1901年(明治34年):真言宗醍醐派、修験部を設置。(資料Q)
  • 1903年(明治36年):真言宗醍醐派、修験部を恵印部と改称。(資料Q)
  • 1903年(明治36年):叡南覚忍、千日回峰行を行満。比叡山修験の復興。(資料H)
  • 1904年(明治37年)2月10日:日露戦争開戦。翌年9月まで。(資料A1)
  • 1904年(明治37年)3月29日:天台宗大学(のちの大正大学)、専門学校令により認可。(資料C1)
  • 1904年(明治37年):シャム国王寄贈の仏骨を奉安した日暹寺(日泰寺)創建。(資料F)
  • 1904年(明治37年):日本宗教家大会、東京芝の忠魂祠堂会館で開催。(資料F)
  • 1908年(明治41年)5月4日:三宝院、聖宝1000年遠忌。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1908年(明治41年)11月25日:天台宗寺門派、初の宗議会を開会。(資料W02)
  • 1908年(明治41年):真言宗醍醐派恵印部を中心に聖役協会を設立。翌年から三宝院機関誌『神変』を発行。(1986『修験道辞典』)
  • 1909年(明治42年):三宝院、峰入り。翌年も。(資料Q2)
  • 1910年(明治43年)6月:従来は、本山派当山派の協同支配であった洞川龍泉寺が三宝院末となる。三宝院出張所を設置。(資料Q2)
  • 1910年(明治43年)8月:韓国併合。(資料B1)
  • 1910年(明治43年)10月23~24日:三宝院、恵印灌頂。切紙伝授。(資料Q2)
  • 1911年(明治44年):三宝院、花供峰入復興。(1986『修験道辞典』)
  • 1912年(大正1年):三宝院、ながらく無住となっていた鳳閣寺を復興し、三宝院執事を住職に任命。(資料Q2)
  • 1913年(大正2年)6月13日:内務省宗教局を文部省に移管。(資料A1)
  • 1915年(大正4年)3月15日:改正天台宗憲章、施行(1918『現行天台宗制規類纂』)
  • 1915年(大正4年):寛永寺で徳川家康300年忌(資料F)。
  • 1916年(大正5年):『修験道章疏』第1巻を発行。(1986『修験道辞典』)
  • 1919年(大正8年):高楠順次郎、姉崎正治、前田恵雲、村上専精、沢柳政太郎らが仏教連合大学創設を提唱。(資料W03)
  • 1919年(大正8年):真言宗醍醐派、恵印部を廃して真言部に編入。(1986『修験道辞典』)
  • 1920年(大正9年):真言宗醍醐派、「修験道規則」制定し、修験道宗務庁を設置。さらに醍醐教会本部を設立。(1986『修験道辞典』)
  • 1921年(大正10年):延暦寺、最澄1100年忌を執行(資料F)。
  • 1921年(大正10年):延暦寺、明治初年に途絶えた御修法を復興。(資料B1)
  • 1922年(大正11年):聖護院、大峰山で深仙灌頂。(1986『修験道辞典』)
  • 1923年(大正12年)9月:関東大震災。(資料B1)
  • 1923年(大正12年):横川根本如法塔跡から1031年(長元4年)に覚超が埋納した経典が発掘される(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 1923年(大正12年):聖護院、機関誌『修験』創刊。(1986『修験道辞典』)
  • 1924年(大正13年)4月:『大正新脩大蔵経』刊行開始(資料F)。
  • 1925年(大正14年):仏教連合大学(のちの大正大学)に天台宗大学、真言宗の豊山大学、浄土宗の宗教大学が合併。(資料W03)
  • 1925年(大正14年):延暦寺横川の根本如法堂跡地に根本如法塔建立。(資料D)
  • 1925年(大正14年)8月3日:小倉霊現、念法真教を創始。(教団ウェブサイト)
  • 1926年(大正15年・昭和1年):大学令による大正大学設立。(資料W03)
  • 1927年(昭和2年)1月1日:修験道事務局を大本山聖護院門跡に開設。(資料W02)
  • 1927年(昭和2年):三宝院、『修験聖典』発行。(1986『修験道辞典』)
  • 1928年(昭和3年):三宝院、京阪醍醐講社を組織。(1986『修験道辞典』)
  • 1929年(昭和4年)3月28日:国宝保存法公布(資料A1)
  • 1929年(昭和4年):解脱会開祖の岡野英三(岡野聖憲)、菩提寺の多聞寺で啓示を得る。同年、大日本神代解脱健康教会を設立。(資料N)
  • 1930年(昭和5年)4月6日:醍醐寺、醍醐天皇1000年忌。閑院宮載仁親王(旧三宝院門跡)、臨席。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1931年(昭和6年)9月:柳条湖事件。(資料B1)
  • 1931年(昭和6年):解脱会開祖の岡野英三(岡野聖憲)、出家。さらに醍醐寺三宝院で得度。聖憲の名を得る。(資料N)
  • 1932年(昭和7年):醍醐寺に伝法学院設置。(1986『修験道辞典』)
  • 1932年(昭和7年)4月3日:醍醐寺、山上五大堂焼失。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1932年(昭和7年):大日本神代解脱健康教会、真言宗修験道解脱教会と改称。(のちの解脱会)(資料N)
  • 1934年(昭和9年)9月21日:台風により園城寺被害甚大。新羅明神社本地堂倒壊。(資料W02)
  • 1934年(昭和9年):聖護院、平安連合会を組織。(1986『修験道辞典』)
  • 1934年(昭和9年):聖護院、役小角生誕1300年記念の願経埋納の入峰。(1986『修験道辞典』)
  • 1935年(昭和10年)4月:『天台宗全書』刊行開始。翌年12月まで。(資料B1)
  • 1935年(昭和10年)4月:醍醐寺霊宝館開館。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1935年(昭和10年)4月:岡野正道、孝道教団を創始。(資料B1)
  • 1935年(昭和10年):伊藤真乗、教団「立照閣」を設立。(のちの真如苑)(資料N)
  • 1937年(昭和12年)4月:比叡山開創1150年記念法要(資料B1)
  • 1937年(昭和12年)7月7日:日中戦争始まる。政府、宗教団体などに挙国一致を要請。(資料A1)
  • 1937年(昭和12年):延暦寺、東塔阿弥陀堂建立。(資料D)
  • 1937年(昭和12年):延暦寺、山王礼拝講、復興(『別冊太陽 比叡山』年表)

宗教団体法時代

  • 1939年(昭和14年)4月8日:宗教団体法公布。(資料A1)
  • 1939年(昭和14年)8月29日:醍醐寺の山上の伽藍、山火事に類焼。寺務所・客殿・清滝宮本殿・准胝堂・経蔵など焼失。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1939年(昭和14年)10月:金峰山寺後醍醐天皇600年御忌執行。香華料として金100円下賜。(公文書)
  • 1939年(昭和14年):念法真教、「天台宗金剛教会」と称し、金峰山寺に所属。(教団ウェブサイト)
  • 1940年(昭和15年)4月1日:宗教団体法施行。(資料B1)
  • 1940年(昭和15年)4月:園城寺、円珍1050年大遠忌執行。(資料W02)
  • 1940年(昭和15年):聖護院、円珍遠忌兼紀元2600年記念の国祷入峰。(1986『修験道辞典』)
  • 1940年(昭和15年):醍醐寺五大堂再建。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1941年(昭和16年)3月31日:文部省、天台宗(天台宗延暦寺派)・天台宗寺門派・天台宗真盛派が合併して「天台宗」(合併天台宗)と称することを認可(文部省告示第514号、4月12日)。修験道では、当初、金峰山寺と聖護院がともに大本山とされたが、聖護院がこれに反発し、聖護院を修験道大本山、金峰山寺を修験道別格本山とすることで解決した。山頂の蔵王権現堂が護持院共同管理による大峰山寺となり天台宗・真言宗の両属となった。
  • 合同真言宗ではすべて醍醐三宝院の「真言宗修験道宗務取扱所」に統合。(資料Q)
  • 1941年(昭和16年)12月:日米戦争開戦。(資料B1)
  • 1942年(昭和17年):落雷で横川中堂焼失。(資料D)
  • 1942年(昭和17年):中尊寺管轄下にあったイタコ教団が天台宗から独立して宗教結社「天台大和教」を結成。(原英子2013「イタコたちの現在」)(吉川良和「口寄せ語りの日蓮物について」では天台大和教の結成を1937年とするが、名称から考えると宗教結社としての設立なので、この年は統一団体設立への動きが始まった年か)
  • 1945年(昭和20年):大阪大空襲で四天王寺焼失。()

現代

修験道復興と教団独立

  • 1945年(昭和20年)8月15日:敗戦。(資料A1)
  • 1945年(昭和20年)11月5日:真言宗総本山会議、開催。昭和合同以前に分派することを決定。(資料H)
  • 1945年(昭和20年)12月15日:GHQ、神道指令を発令。(資料A1)
  • 1945年(昭和20年)12月28日:宗教団体法廃止。宗教法人令公布。(資料A1)
  • 1946年(昭和21年)2月28日:真言宗醍醐派、法人登記。1952年(昭和27年)7月31日認証。(資料N)
  • 1946年(昭和21年)3月1日:聖護院が合併天台宗から独立して「修験宗」(のちの本山修験宗)を法人登記。1953年(昭和28年)4月10日、認証。(資料N・H)
  • 1946年(昭和21年)3月11日:新潟県に本部を置く御嶽教修正派が設立登記。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)3月30日:五流尊瀧院、合併天台宗から独立して修験道本庁を設立(名称は「修験道」)。設立登記。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)3月:西教寺、合併天台宗から独立。天台真盛宗を組織する。(資料J)
  • 1946年(昭和21年)4月2日:園城寺、合併天台宗より独立。天台寺門宗設立(資料H)。(以後、延暦寺を総本山とする教団を天台宗延暦寺派と表記)
  • 1946年(昭和21年)4月:鳳来寺が真言宗醍醐派から独立して真言宗五智教団を設立。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)6月7日:出羽荒沢寺が天台宗延暦寺派から独立して羽黒山修験本宗を設立。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)7月:黒沢御嶽神社を中心とする木曽御嶽本教、設立登記。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)10月:GHQ、第二次農地改革を実行。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)12月10日:大阪府豊能郡能勢町の本瀧寺が天台宗延暦寺派から独立して妙見宗を設立。(資料H)
  • 1946年(昭和21年)12月:兵庫県尼崎市の福田寺が独立して真言聖天宗を設立。(資料H)
  • 1946年(昭和21年):兵庫県佐用郡南光町(佐用町)の瑠璃寺が、真言宗大覚寺派から独立して真言宗修験派を設立。1954年(昭和29年)認証登記。のち高野山真言宗に合併。(資料N)
  • 1947年(昭和22年)2月:園城寺本坊の円満院門跡が、園城寺と対立し、天台寺門宗から離脱。単立寺院となる。(資料W02)
  • 1947年(昭和22年)3月:念法真教、宗教法人「小倉山金剛寺」を設立し、天台宗から独立。(教団ウェブサイト)
  • 1947年(昭和22年)4月12日:社寺境内処分法制定。(資料H)
  • 1947年(昭和22年)5月10日:石中寺石土宗を設立。(資料H)
  • 1947年(昭和22年):鞍馬寺、鞍馬弘教を立教。(『週刊古寺を巡る17 鞍馬寺』)
  • 1947年(昭和22年):前神寺真言宗御室派から独立して、真言宗石鉄派を設立。1953年(昭和28年)認証。翌年登記。(資料N)
  • 1948年(昭和23年)4月16日:東南院桜本坊らが「大峰修験宗」設立。(資料H)
  • 1948年(昭和23年):立照閣、まこと教団として法人設立。(のちの真如苑)(資料N)
  • 1948年(昭和23年):御嶽教木曽大教殿を創建。(資料P)
  • 1948年(昭和23年)10月:天台宗延暦寺派、妙法院門跡を修験道管領とする。11月3日に採燈護摩を実施。その後、赤山禅院に修験道法流を置く。(2001『修験道 その歴史と修行』)
  • 1949年(昭和24年)12月13日:鞍馬寺、天台宗延暦寺派を離脱して鞍馬弘教を設立。(資料H)
  • 1949年(昭和24年)3月13日:真言宗修験道解脱教会、解脱報恩感謝会として法人設立。1953年(昭和28年)1月9日登記。(のちの解脱会)(資料N)
  • 1949年(昭和24年):岩屋山光明院が真言宗御室派から独立して岩屋山不動宗を設立。(岩屋山志明院の誤りか)(資料H)
  • 1950年(昭和25年):朝鮮戦争。(資料B1)
  • 1950年(昭和25年)5月:園城寺、役小角1250年大遠忌を執行。(資料W02)
  • 1950年(昭和25年):聖護院、役小角遠忌。深仙灌頂を実施。(1986『修験道辞典』)
  • 1950年(昭和25年)5月30日:文化財保護法公布(資料A1)
  • 1950年(昭和25年)5月:注連寺が真言宗豊山派から独立して新義真言宗湯殿山派を設立。1953年(昭和28年)認証、登記。(資料N・資料H)
  • 1950年(昭和25年)8月:七宝瀧寺が高野山真言宗から独立して真言宗犬鳴派を設立。(資料H)
  • 1950年(昭和25年):飯道寺、「山岳宗飯道寺修験」を設立。(2001『修験道 その歴史と修行』、「大臣官房総務課記録班分類文書」)
  • 1951年(昭和26年)1月:岐阜県不破郡の明星輪寺が真言宗智山派から独立して単立寺院となる。(資料H)
  • 1951年(昭和26年)3月:大和・霊山寺が高野山真言宗から独立して霊山寺修験宗を設立。(霊山寺真言宗の誤りか)(資料H)
  • 1951年(昭和26年)4月3日:宗教法人法公布(資料A1)
  • 1951年(昭和26年)9月:サンフランシスコ講和条約締結。(資料B1)
  • 1951年(昭和26年):まこと教団、真如苑と改称。(資料N)
  • 1951年(昭和26年):吉野鳳閣寺が真言宗醍醐派から独立して真言宗鳳閣寺派を設立。2年後に認証・登記。(資料N)(資料Hでは1952年(昭和27年))
  • 1951年(昭和26年):朝護孫子寺高野山真言宗から独立して信貴山真言宗を設立。翌年認証登記。
  • 1952年(昭和27年)9月9日:「宗教法人念法眞教」設立認証。()
  • 1952年(昭和27年):天台真盛宗宗憲・宗規制定。(資料J)
  • 1952年(昭和27年):法相宗宗制認証。その中で薬師寺の「法相修験本宗」を唱う。(資料H)
  • 1952年(昭和27年):大峰修験宗、金峰山修験本宗と改称。「大峰山寺」とまぎわらしいとの洞川からの抗議を受けたもの。(1986『修験道辞典』ほか)
  • 1952年(昭和27年):叡南祖賢、天台宗延暦寺派の修験道管領となる?
  • 1953年(昭和28年):イタコ教団(旧「天台大和教」)、宗教法人「大和宗」を設立。名称は既に昭和24年に改称していた。(原英子2013「イタコたちの現在」、吉川良和「口寄せ語りの日蓮物について」)
  • 1953年(昭和28年)5月:伊予・極楽寺真言宗御室派から独立し、石鎚山真言宗を設立。この年、認証、登記。(資料N)(資料H)
  • 1954年(昭和29年)6月25日:全日本仏教会設立。(資料A1)
  • 1954年(昭和29年):桐山靖雄、横浜市に観音慈恵会を設立。(のちの阿含宗)(資料P)
  • 1954年(昭和29年):聖護院、近畿連合会を組織。(1986『修験道辞典』)
  • 1958年(昭和33年):六郷満山で峰入りが復興。幕末以来。(飯沼賢司2000「中・近世の六郷山寺院と峯入り」)
  • 1961年(昭和36年)7月25日:世界宗教者平和会議、京都で開催。28日まで。(資料A1)
  • 1961年(昭和36年):修験宗の本山聖護院、修験宗から離脱。「本山修験宗」(非法人)を組織。修験宗は小田原市の量覚院を本部とする。また吉祥草寺も離脱して「本修験宗」を設立。(『宗教法』創刊号)(1986『修験道辞典』)
  • 1962年(昭和37年):解脱報恩感謝会、解脱会と改称。(資料N)
  • 1962年(昭和37年):出羽三山神社、神職養成所を設置。(『神道事典』)
  • 1964年(昭和39年):御嶽教、奈良県奈良市に大和本宮を創建。2年後に教務所を移転。(資料P)
  • 1968年(昭和43年)5月18日:醍醐寺准胝堂再建。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1968年(昭和43年):聖護院、葛城灌頂を中津川行者堂で500年ぶりに実施。(2001『修験道 その歴史と修行』)
  • 1970年(昭和45年):大峰山の女人禁制の範囲が縮小される。愛染宿付近から五番関へ移動。近鉄の要請などによるという。(『大峯奥駈道七十五靡』)
  • 1971年(昭和46年):最澄1150年遠忌(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 1975年(昭和50年)6月24日:昭和天皇、英彦山神社に神宮号宣下。英彦山神宮と称す。(資料B1)
  • 1976年(昭和51年)5月17日:醍醐寺開創1100年記念法要。(佐和隆研『醍醐寺』)
  • 1982年(昭和57年):修験宗と本山修験宗が合併。宗教法人である修験宗の規則変更という形で実現する。本山修験宗と称す。(『宗教法』創刊号)(1986『修験道辞典』では1980年(昭和55年)に合併)
  • 1982年(昭和57年):心蓮1300年遠忌を機に宝満山修験会、設立。(永福院ウェブサイト)

山岳信仰と神仏習合の再評価

  • 1983年(昭和58年)4月:日吉大社の神輿、約400年ぶりに比叡山に登る。(資料B1)
  • 1983年(昭和58年)5月:日光東照宮輪王寺が和解。(資料B1)
  • 1984年(昭和59年):聖護院、葛城灌頂を実施。(2001『修験道 その歴史と修行』)
  • 1985年(昭和60年)7月:京都で古都税紛争。(資料B1)
  • 1986年(昭和61年):日光修験道を称する山王院が日光山で峰入りを開始。
  • 1987年(昭和62年):比叡山開創1200年慶讃法要(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 1990年(平成2年)10月:園城寺、円珍1100年遠忌法要を執行。11月まで。(資料W01)
  • 1992年(平成4年):天海350年大遠忌(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 1993年(平成5年):出羽三山開山1400年。出羽三山神社、毎年9月、女性山伏のための「神子修行道場」を開設。(神社ウェブサイト)
  • 1994年(平成6年):延暦寺醍醐寺醍醐寺三宝院、世界文化遺産「古都京都の文化財」に登録。(資料A1)
  • 1994年(平成6年):『修験道修行大系』発行。
  • 1998年(平成10年):延暦寺、智顗1400年大遠忌(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 1999年(平成11年):日光二荒山神社日光東照宮日光・輪王寺、世界文化遺産「日光の社寺」に登録。(「文化遺産オンライン」)
  • 2000年(平成12年):役小角1300年遠忌法要が各本山などで行われた。三宝院(4月14~15日)、金峰山寺(5月11日~6月7日)、聖護院(6月1日~4日)の他、終焉の地とされる瀧安寺で7月7日に採燈大護摩が執行された。そして8月27日には大峰山寺で三本山(および大峰山寺)合同の法要が営まれた。また10月1日には聖護院主催で瀧安寺から役小角が天に昇ったとされる天上ケ岳への登拝が行われた。(2001『修験道 その歴史と修行』)
  • 2001年(平成13年):役行者霊蹟札所設立。遠忌記念。
  • 2004年(平成16年):吉野の金峰山寺大峰山寺吉水神社(旧吉水院)・玉置神社(別当は天台宗高牟婁院)、熊野の熊野三山青岸渡寺補陀洛山寺、高野山の金剛峰寺丹生都比売神社などが世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録。(「文化遺産オンライン」)
  • 2004年(平成16年):金峰山寺で修験道大結集。世界遺産登録記念。
  • 2005年(平成17年):延暦寺、天台宗開宗1200年慶讃法要(『別冊太陽 比叡山』年表)
  • 2005年(平成17年):相模大山、開山1250年。
  • 2008年(平成20年):神仏霊場会設立。
  • 2009年(平成21年):早池峰山周辺に伝わる早池峰神楽が無形文化遺産に登録。
  • 2009年(平成21年):安西宝塔を宝満山に再建。(清原倫子2014「ちくしの散歩 国指定史跡宝満山」)
  • 2012年(平成24年)11月16日:天台寺門宗、円珍生誕1200年慶讃大法会記念の葛城二十八宿巡峰修行の第一期を実施。第二期は翌年、第三期は正当年の翌々年に実施。(資料W02)
  • 2013年(平成25年):富士山周辺の浅間大社冨士浅間神社山宮浅間神社村山浅間神社須山浅間神社須走浅間神社河口浅間神社冨士御室浅間神社人穴富士講遺跡、忍野八海などが世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」に登録。
  • 2013年(平成25年):竈門神社宝満山の開山1350年。150年ぶりに宝満山から英彦山へ峰入り。
  • 2014年(平成26年)9月15日:天台寺門宗、円珍生誕1200年慶讃大法会記念の葛城二十八宿巡峰修行、結願。(資料W02)
  • 2014年(平成26年)10月28日:天台寺門宗、円珍生誕1200年慶讃大法会大法要を執行。11月3日まで。10月18日開闢、11月24日結願。(資料W02)
  • 2014年(平成26年):「宇佐神宮六郷満山霊場会」(宇佐国東半島を巡る会)、設立。(『国東六郷満山』)
  • 2015年(平成27年):高野山開創1200年。
  • 2016年(平成28年):日光山開山1250年。甲斐駒ケ岳開山200年。
  • 2017年(平成29年):白山開山1300年。
  • 2018年(平成30年):伯耆大山開山1300年。六郷満山開山1300年。

参考文献

  • 資料A1:『岩波仏教辞典 第二版』年表
  • 資料A2:『岩波仏教辞典 第二版』(年表を除く)
  • 資料B1:『仏教文化事典』年表
  • 資料B2:『仏教文化事典』
  • 資料C1:『論集日本仏教史』年表
  • 資料D:『寺院神社大辞典 近江・若狭・越前』
  • 資料E:『古寺名刹大辞典』
  • 資料F:『新撰日本仏教年表』
  • 資料J:『天台真盛宗読本』
  • 資料H:宮家準2006「近現代の山岳宗教と修験道」
  • 資料K:『神道事典』
  • 資料L:『日本天台史』
  • 資料M:『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
  • 資料W01:園城寺ウェブサイト
  • 資料W02:天台寺門宗ウェブサイト
  • 資料W05:天台寺門宗ウェブサイト智証大師年譜
  • 資料W03:大正大学ウェブサイト
  • 資料W04:園城寺宗祖智証大師生誕1200年慶讃ウェブサイト
  • 資料G01:『太政類典』
  • 資料G02『法令全書』
  • 資料G03:『宗教制度調査*資料 江戸時代宗教制度年表』
  • 資料G04:『公文録』


(追加)

  • 資料N:金岡秀友編 1974(昭和49)『仏教宗派辞典』東京堂出版
  • 資料P:1996(平成8)『新宗教教団・人物事典』弘文堂
  • 資料Q:宮家準『修験道組織の研究』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8」より作成

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