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皇室の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*[[聖徳太子]](574-622):仏教思想を国政に本格的に導入した政治家。[[用明天皇]]皇子。[[法隆寺]]など多数の寺院を創建。[[叡福寺]]に治定[[聖徳太子墓]]。 | *[[聖徳太子]](574-622):仏教思想を国政に本格的に導入した政治家。[[用明天皇]]皇子。[[法隆寺]]など多数の寺院を創建。[[叡福寺]]に治定[[聖徳太子墓]]。 | ||
- | *[[蜂子皇子]](生没年不詳):[[出羽三山]]の伝説的な開祖。[[崇峻天皇]]皇子。父帝が暗殺され、出羽国に逃れたとされる。治定[[蜂子皇子墓]]。蜂子神社祭神。諡号は照見大菩薩。 | + | *[[蜂子皇子]](生没年不詳):[[出羽三山]]の伝説的な開祖。[[修験]]僧。[[崇峻天皇]]皇子。父帝が暗殺され、出羽国に逃れたとされる。治定[[蜂子皇子墓]]。蜂子神社祭神。諡号は照見大菩薩。 |
*有間皇子(640-658):孝徳天皇の皇子。紀伊国藤白で刑死。[[有間皇子神社]]が[[藤白神社]]内にある。治定外[[有間皇子墓]]。 | *有間皇子(640-658):孝徳天皇の皇子。紀伊国藤白で刑死。[[有間皇子神社]]が[[藤白神社]]内にある。治定外[[有間皇子墓]]。 | ||
*高市皇子(654-696):[[天武天皇]]皇子。壬申の乱で活躍。[[東小高神社]]祭神。墓所不明。 | *高市皇子(654-696):[[天武天皇]]皇子。壬申の乱で活躍。[[東小高神社]]祭神。墓所不明。 | ||
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*[[舎人親王]](676-735):天武天皇皇子。『日本書紀』を編纂。諡号は崇道尽敬皇帝。[[藤森神社]]祭神。墓所不明。[[黄金塚陵墓参考地]]が候補地。 | *[[舎人親王]](676-735):天武天皇皇子。『日本書紀』を編纂。諡号は崇道尽敬皇帝。[[藤森神社]]祭神。墓所不明。[[黄金塚陵墓参考地]]が候補地。 | ||
*[[山背大兄王]](?-643):聖徳太子の王子。墓所不明。 | *[[山背大兄王]](?-643):聖徳太子の王子。墓所不明。 | ||
- | *長屋王(684?- | + | *長屋王(684?-729):天武天皇の孫で高市皇子の王子。「長屋王の変」で死去。長屋王神社がある?。治定[[長屋王墓]]。 |
*吉備内親王(?-729):長屋王の妃。「長屋王の変」で死去。[[上御霊神社]]の祭神という説がある。治定[[吉備内親王墓]]。 | *吉備内親王(?-729):長屋王の妃。「長屋王の変」で死去。[[上御霊神社]]の祭神という説がある。治定[[吉備内親王墓]]。 | ||
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- | *[[光明皇后]](701-760):[[聖武天皇]] | + | *[[光明皇后]](701-760):[[東大寺]]大仏の造営を提案した政治家。[[聖武天皇]]の皇后。[[藤原氏]]出身。治定[[光明皇后陵]]。 |
- | *[[井上内親王]](717- | + | *[[井上内親王]](717-775):怨霊神。[[光仁天皇]]の皇后。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として[[霊安寺]]が建てられた。[[五条・御霊神社]]祭神。治定[[井上内親王陵]]。 |
- | *高野新笠(?-789):光仁天皇の妃。[[桓武天皇]]、[[崇道天皇]] | + | *高野新笠(?-789):光仁天皇の妃。[[桓武天皇]]、[[崇道天皇]]の母。治定[[高野新笠陵]]。 |
- | *[[開成皇子]](724-781): | + | *[[開成皇子]](724-781):[[勝尾寺]]を開いた伝説的な僧侶。光仁天皇皇子。治定[[開成皇子墓]]。 |
- | *[[崇道天皇]](750- | + | *[[崇道天皇]](750-785):古代の代表的な怨霊神。光仁天皇皇子。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。[[上御霊神社]]祭神。治定[[崇道天皇陵]]。早良親王。 |
- | *他戸親王(761- | + | *他戸親王(761-775):怨霊神。光仁天皇皇子。母は井上内親王。皇太子となるが、皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として[[霊安寺]]が建てられた。[[五条・御霊神社]]祭神。治定[[他戸親王墓]]。 |
===平安時代=== | ===平安時代=== | ||
- | + | *[[伊予親王]](?-807):怨霊神。[[桓武天皇]]皇子。[[御霊神社]]祭神。治定[[伊予親王墓]]。 | |
- | *[[伊予親王]](?- | + | *万多親王(788-830):学者。桓武天皇皇子。『新撰姓氏録』を編纂。墓所不明。 |
- | + | *有員親王(生没年不詳):伝説的な神職。桓武天皇皇子。[[諏訪大社]]大祝を務めた神(みわ)氏(諏訪家)の開祖という。ただし神氏は[[諏訪大神]]の子孫ともいう。治定外[[有員親王墓]]。 | |
- | *[[阿保親王]](792-842): | + | *[[阿保親王]](792-842):[[平城天皇]]皇子。治定[[阿保親王墓]]が菩提寺の[[親王寺]]の近くにある。[[阿保天神社]]、[[在原神社]]などの祭神。 |
- | *[[真如法親王]](799-865? | + | *[[真如法親王]](799-865?):多くの寺を開いた真言宗の入唐僧。平城天皇皇子。[[空海]]の弟子。[[超昇寺]]開山。入唐にインドに向かうが、羅越国(シンガポール周辺)で虎に襲われて死去したという。俗名は高岳親王。マレーシアのジョホールバル日本人墓地に治定外[[ジョホールバル・真如親王塔|真如親王塔]]がある。 |
- | *遍昭(遍照)(816-890):天台僧。[[円仁]]、[[円珍]] | + | *遍昭(遍照)(816-890):天台僧。[[円仁]]、[[円珍]]に師事。桓武天皇皇孫で良岑安世の子。皇族ではないが、墓は皇族扱いを受けている。[[元慶寺]]開山。花山僧正、僧正遍昭。治定[[遍照墓]]。 |
- | *恒寂入道親王(825-884):[[大覚寺]] | + | *恒寂入道親王(825-884):[[大覚寺]]開山の真言僧。[[淳和天皇]]皇子。俗名は恒貞親王。[[入道塚陵墓参考地]]が墓の伝承地。 |
- | *[[聖宝]](832- | + | *[[聖宝]](832-909):[[醍醐寺]]や[[東大寺東南院]]を開いた真言僧。葛声王の王子で、[[天智天皇]]6世孫という。俗名は恒蔭王。後世、[[修験道]][[当山派]]の開祖とされる。諡号は理源大師。鳳閣寺に治定外[[聖宝墓]]。また[[沓塚陵墓参考地]]が墓の候補地。 |
- | *[[惟喬親王]](844- | + | *[[惟喬親王]](844-897):木地師の開祖とされる[[文徳天皇]]の皇子。通称は小野宮。僧名は素覚。[[惟喬神社]]、[[大皇器地祖神社]]など多くの奉斎神社がある。治定[[惟喬親王墓]]。 |
- | *[[高望王]](生没年不詳):桓武[[平氏]] | + | *[[高望王]](生没年不詳):桓武[[平氏]]の祖。平高望。桓武天皇の皇孫で葛原親王の王子。墓所不明。 |
- | *斉世親王(886-927):[[菅原道真]] | + | *斉世親王(886-927):[[菅原道真]]の娘婿。[[仁和寺]]の僧。宇多天皇皇子。真寂法親王。墓所不明。[[北野天満宮]]内の地主神社の相殿に祀られている。 |
- | *[[経基王]](?- | + | *[[経基王]](?-961):清和[[源氏]]の祖先神となった武将。源経基。[[清和天皇]]の皇孫で、貞純親王の王子。通称は六孫王。[[六孫王神社]]に祀られ、現在も神社の背後に墓があるという。 |
- | *[[空也]](903-972):日本の[[浄土教]] | + | *[[空也]](903-972):日本の[[浄土教]]の先駆者となった僧。皇族の出ともいうが不詳。市聖、市聖人。[[六波羅蜜寺]]を創建。近くの西光寺に治定外[[空也墓]]がある。 |
- | *寛忠(906- | + | *寛忠(906-977):[[真言]]僧。敦固親王の王子で宇多天皇皇孫。親王の子として初の僧綱となる。[[禅林寺]]住職。寛忠僧正。池上僧都。墓所不明。 |
- | *寛朝(916-998):[[ | + | *寛朝(916-998):[[成田山新勝寺]]を開いた真言僧。敦実親王の子で宇多天皇皇孫。[[真言宗広沢流]]の祖。[[遍照寺]]を創建。仁和寺別当。[[西寺]]別当。[[東寺]]長者。[[東大寺]]別当。東密声明の中興。広沢大僧正、遍照寺僧正、広沢御房。墓所不明。 |
- | *明観(953- | + | *明観(953-1021):[[醍醐寺]]座主。佐忠王([[醍醐天皇]]皇子)の王子。明観僧正。墓所不明。 |
- | *覚源(1000- | + | *覚源(1000-1065):醍醐寺座主。[[花山天皇]]皇子。覚源僧正。通称は宮僧正。墓所不明。 |
*深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。[[金剛峰寺]]座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。 | *深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。[[金剛峰寺]]座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。 | ||
- | *性信法親王(1005-1085):真言僧。[[三条天皇]] | + | *性信法親王(1005-1085):真言僧。[[三条天皇]]皇子。仁和寺2世。[[空海]]の再来と呼ばれる。治定外[[性信法親王墓]]。 |
- | *覚法法親王(1092-1153):真言僧。[[白河天皇]]皇子。[[仁和御流]]の祖。 | + | *覚法法親王(1092-1153):真言僧。[[白河天皇]]皇子。[[仁和御流]]の祖。[[高野山総持院]]の裏山に治定[[覚法親王墓]]がある。 |
- | *聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。[[華蔵院流]]の祖。[[仁和寺華蔵院]]に住す。長尾宮、華蔵院宮。 | + | *聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。[[華蔵院流]]の祖。[[仁和寺華蔵院]]に住す。長尾宮、華蔵院宮。 墓所不明。 |
- | *[[以仁王]](1151- | + | *[[以仁王]](1151-1180):治承寿永の乱を起こした政治家。[[後白河天皇]]の皇子。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の[[光明山寺]]の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。[[高倉神社]]祭神。治定[[以仁王墓]]。 |
- | *[[北陸宮]](1165- | + | *[[北陸宮]](1165-1230):以仁王の王子。僧侶。諱は不明。以仁王の死後、出家して北陸に逃れるが、還俗して[[源義仲]]に奉じられる。木曽宮。富山県下新川郡朝日町に治定外[[北陸宮墓]]。 |
- | *道尊(1175- | + | *道尊(1175-1228):[[蓮華光院門跡]]を創建した真言僧。[[安井御流]]の祖。以仁王の王子。父の挙兵により出家させられた。東大寺別当、東寺長者、仁和寺別当。通称は安井宮御室、安井宮。墓所不明。 |
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2016年6月20日 (月) 時点における版
目次 |
概要
皇室の祭祀。宮家の祭祀も参照。
近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、神宮祭祀、宮中三殿の祭祀、勅祭社の祭祀、陵墓祭祀、旧官国幣社・旧指定護国神社臨時祭への奉幣、延暦寺と東寺での勅会執行、一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。
歴代天皇
主要皇族
神話時代
飛鳥時代
- 聖徳太子(574-622):仏教思想を国政に本格的に導入した政治家。用明天皇皇子。法隆寺など多数の寺院を創建。叡福寺に治定聖徳太子墓。
- 蜂子皇子(生没年不詳):出羽三山の伝説的な開祖。修験僧。崇峻天皇皇子。父帝が暗殺され、出羽国に逃れたとされる。治定蜂子皇子墓。蜂子神社祭神。諡号は照見大菩薩。
- 有間皇子(640-658):孝徳天皇の皇子。紀伊国藤白で刑死。有間皇子神社が藤白神社内にある。治定外有間皇子墓。
- 高市皇子(654-696):天武天皇皇子。壬申の乱で活躍。東小高神社祭神。墓所不明。
- 草壁皇子(662-689):天武天皇皇子。皇太子のまま死去。諡号は岡宮御宇天皇。菩提寺は粟原寺(廃絶)。宮道天神社祭神。治定岡宮天皇陵。
- 大津皇子(663-686):天武天皇皇子。二上山に治定大津皇子墓。薬師寺若宮社祭神。
- 志貴皇子(?-716):天智天皇皇子。諡号は春日宮御宇天皇。通称は田原天皇。奈良豆比古神社祭神。治定春日宮天皇陵。
- 舎人親王(676-735):天武天皇皇子。『日本書紀』を編纂。諡号は崇道尽敬皇帝。藤森神社祭神。墓所不明。黄金塚陵墓参考地が候補地。
- 山背大兄王(?-643):聖徳太子の王子。墓所不明。
- 長屋王(684?-729):天武天皇の孫で高市皇子の王子。「長屋王の変」で死去。長屋王神社がある?。治定長屋王墓。
- 吉備内親王(?-729):長屋王の妃。「長屋王の変」で死去。上御霊神社の祭神という説がある。治定吉備内親王墓。
奈良時代
- 光明皇后(701-760):東大寺大仏の造営を提案した政治家。聖武天皇の皇后。藤原氏出身。治定光明皇后陵。
- 井上内親王(717-775):怨霊神。光仁天皇の皇后。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として霊安寺が建てられた。五条・御霊神社祭神。治定井上内親王陵。
- 高野新笠(?-789):光仁天皇の妃。桓武天皇、崇道天皇の母。治定高野新笠陵。
- 開成皇子(724-781):勝尾寺を開いた伝説的な僧侶。光仁天皇皇子。治定開成皇子墓。
- 崇道天皇(750-785):古代の代表的な怨霊神。光仁天皇皇子。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。上御霊神社祭神。治定崇道天皇陵。早良親王。
- 他戸親王(761-775):怨霊神。光仁天皇皇子。母は井上内親王。皇太子となるが、皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として霊安寺が建てられた。五条・御霊神社祭神。治定他戸親王墓。
平安時代
- 伊予親王(?-807):怨霊神。桓武天皇皇子。御霊神社祭神。治定伊予親王墓。
- 万多親王(788-830):学者。桓武天皇皇子。『新撰姓氏録』を編纂。墓所不明。
- 有員親王(生没年不詳):伝説的な神職。桓武天皇皇子。諏訪大社大祝を務めた神(みわ)氏(諏訪家)の開祖という。ただし神氏は諏訪大神の子孫ともいう。治定外有員親王墓。
- 阿保親王(792-842):平城天皇皇子。治定阿保親王墓が菩提寺の親王寺の近くにある。阿保天神社、在原神社などの祭神。
- 真如法親王(799-865?):多くの寺を開いた真言宗の入唐僧。平城天皇皇子。空海の弟子。超昇寺開山。入唐にインドに向かうが、羅越国(シンガポール周辺)で虎に襲われて死去したという。俗名は高岳親王。マレーシアのジョホールバル日本人墓地に治定外真如親王塔がある。
- 遍昭(遍照)(816-890):天台僧。円仁、円珍に師事。桓武天皇皇孫で良岑安世の子。皇族ではないが、墓は皇族扱いを受けている。元慶寺開山。花山僧正、僧正遍昭。治定遍照墓。
- 恒寂入道親王(825-884):大覚寺開山の真言僧。淳和天皇皇子。俗名は恒貞親王。入道塚陵墓参考地が墓の伝承地。
- 聖宝(832-909):醍醐寺や東大寺東南院を開いた真言僧。葛声王の王子で、天智天皇6世孫という。俗名は恒蔭王。後世、修験道当山派の開祖とされる。諡号は理源大師。鳳閣寺に治定外聖宝墓。また沓塚陵墓参考地が墓の候補地。
- 惟喬親王(844-897):木地師の開祖とされる文徳天皇の皇子。通称は小野宮。僧名は素覚。惟喬神社、大皇器地祖神社など多くの奉斎神社がある。治定惟喬親王墓。
- 高望王(生没年不詳):桓武平氏の祖。平高望。桓武天皇の皇孫で葛原親王の王子。墓所不明。
- 斉世親王(886-927):菅原道真の娘婿。仁和寺の僧。宇多天皇皇子。真寂法親王。墓所不明。北野天満宮内の地主神社の相殿に祀られている。
- 経基王(?-961):清和源氏の祖先神となった武将。源経基。清和天皇の皇孫で、貞純親王の王子。通称は六孫王。六孫王神社に祀られ、現在も神社の背後に墓があるという。
- 空也(903-972):日本の浄土教の先駆者となった僧。皇族の出ともいうが不詳。市聖、市聖人。六波羅蜜寺を創建。近くの西光寺に治定外空也墓がある。
- 寛忠(906-977):真言僧。敦固親王の王子で宇多天皇皇孫。親王の子として初の僧綱となる。禅林寺住職。寛忠僧正。池上僧都。墓所不明。
- 寛朝(916-998):成田山新勝寺を開いた真言僧。敦実親王の子で宇多天皇皇孫。真言宗広沢流の祖。遍照寺を創建。仁和寺別当。西寺別当。東寺長者。東大寺別当。東密声明の中興。広沢大僧正、遍照寺僧正、広沢御房。墓所不明。
- 明観(953-1021):醍醐寺座主。佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。明観僧正。墓所不明。
- 覚源(1000-1065):醍醐寺座主。花山天皇皇子。覚源僧正。通称は宮僧正。墓所不明。
- 深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。
- 性信法親王(1005-1085):真言僧。三条天皇皇子。仁和寺2世。空海の再来と呼ばれる。治定外性信法親王墓。
- 覚法法親王(1092-1153):真言僧。白河天皇皇子。仁和御流の祖。高野山総持院の裏山に治定覚法親王墓がある。
- 聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。華蔵院流の祖。仁和寺華蔵院に住す。長尾宮、華蔵院宮。 墓所不明。
- 以仁王(1151-1180):治承寿永の乱を起こした政治家。後白河天皇の皇子。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の光明山寺の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓。
- 北陸宮(1165-1230):以仁王の王子。僧侶。諱は不明。以仁王の死後、出家して北陸に逃れるが、還俗して源義仲に奉じられる。木曽宮。富山県下新川郡朝日町に治定外北陸宮墓。
- 道尊(1175-1228):蓮華光院門跡を創建した真言僧。安井御流の祖。以仁王の王子。父の挙兵により出家させられた。東大寺別当、東寺長者、仁和寺別当。通称は安井宮御室、安井宮。墓所不明。
鎌倉時代
- 覚仁親王(1198-1266):園城寺長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。
- 頼仁親王(1201-1264):天台修験僧。児島修験の開祖。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、五流尊瀧院を中興。冷泉宮、児島宮。頼仁親王墓。
- 善性房(生没年不詳):親鸞高弟二十四輩の第9番。後鳥羽天皇皇子の正懐親王。周観大覚。鸞英。常陸・大覚寺、浄興寺を創建。
- 善俊(1214-1282):親鸞の弟子。後鳥羽天皇皇子とも皇孫ともいう。飛騨に照蓮寺を創建。嘉念坊。堀端・照蓮寺に墓所。火葬場跡もある。
- 寒巌義尹(1217-1300):曹洞宗寒巌派の開祖。後鳥羽天皇皇子(順徳天皇皇子とも)。
- 信念(1219-1286):親鸞の弟子。順徳天皇皇子。彦成王、成尊、善空房。佐渡に西三川陵墓参考地がある。
- 王阿(生没年不詳):時宗御影堂派の開祖。新善光寺開山。後嵯峨天皇皇子。
南北朝時代
- 恒性法親王(1305-1333):真言宗僧。後醍醐天皇皇子。父帝が隠岐に流されるとともに越中配流となる。富山県高岡市に治定墓恒性王墓。大覚寺宮。越中宮。
- 源光(生没年不詳):浄土真宗僧。後醍醐天皇皇子。吉野光遍寺を創建。
- 護良親王(1308-1335):後醍醐天皇皇子。鎌倉宮祭神。
- 尊澄法親王(宗良親王)(1311-1385?):妙法院門跡24世。後醍醐天皇皇子。天台座主。井伊谷宮祭神。宗良親王墓。
- 尊良親王(1311-1337):後醍醐天皇皇子。金崎宮祭神。
- 無文元選(1323-1390):臨済宗僧。後醍醐天皇皇子。遠江・方広寺開山。
- 恒良親王(1324-1338):後醍醐天皇皇子。金崎宮祭神。
- 懐良親王(1329-1383):後醍醐天皇皇子。八代宮祭神。
- 進子内親王(生没年不詳):光照院門跡を創建。後伏見天皇皇女。自本覚公。
- 貞煕僧全(敬法)(?-1400):清浄華院8世。伏見天皇皇孫。尊煕親王の王子。神蔵寺に住した。
- 尊観法親王(1349-1400):清浄光寺遊行上人12世。時宗中興と言われる。亀山天皇の孫とされ、時宗が南朝門流と称す根拠とされる。
- 真阿(1385-1440):浄土宗僧。後亀山天皇皇子。誓願寺38世恵空道禅に師事。一念寺を再興。十念寺を創建。義恩。墓所は十念寺。
室町時代
- 小倉宮恒敦親王(?-1422):後南朝。後亀山天皇皇子。
- 尊秀王(生没年不詳):後南朝。北山神社祭神。1443年(嘉吉3年)、禁闕の変を起こす。
- 一休宗純(1394-1481):臨済宗応燈関派の僧。後小松天皇の落胤と言われる。大徳寺47世。風狂を演じる。狂雲子。瞎驢。夢閨。周建。
- 真智(?-1585):浄土真宗僧。後柏原天皇皇子。常盤井宮。専修寺に入るが、応真と後継争いで敗れる。熊坂・専修寺を創建。現在は除歴されている。
- 見子内親王(生没年不詳):後光厳天皇皇女。三時知恩寺を創建。
- 慈光():浄土真宗僧。錦織寺8世(歴代に含めない場合もあるようだ)。伏見宮邦高親王の王子。
江戸時代
- 良純法親王(1603-1669):後陽成天皇皇子。 知恩院宮初代。
- 文智女王(1619-1697):後水尾天皇皇女。円照寺門跡を創建。円照寺宮。
- 守澄法親王(1634-1680):初代輪王寺宮。
- 円遵(1746-1819):有栖川宮家出身の浄土真宗僧。霊元天皇皇曾孫。専修寺18世。
明治時代
- 久邇宮朝彦親王(1824-1891):青蓮院門跡。天台宗僧、神職。伏見宮邦家親王の第4王子。興福寺一乗院門跡。天台座主。還俗して神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。尊応法親王、尊融法親王。
- 久我誓円(1828-1910):善光寺大本願住職。浄土宗尼。伏見宮邦家親王の第3王女。久我通明養女。京都の華頂宮邸跡に得浄明院を創建。
- 伏見宮文秀女王(1844-1926):円照寺門跡。臨済宗尼。皇族最後の僧侶。伏見宮邦家親王の第7王女。
- 能久親王(1847-1895):最後の輪王寺宮。天台宗僧。東武皇帝。邦家親王の第9王子。台湾神宮祭神。
- 渋谷家教(清棲家教)(1862-1923):仏光寺26世。浄土真宗僧。伏見宮邦家親王の第15王子。のち還俗。