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皇室の祭祀

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2016年6月20日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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目次

概要

皇室の祭祀。宮家の祭祀も参照。

近代に整備された制度が多い。連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令(1945年(昭和20年)12月15日)、それを踏まえた日本国憲法(1947年(昭和22年)5月3日施行)が定める政教分離に基づき、法律的には廃止されたが、現在も天皇家の私的な信仰として大部分はそのまま存続している。現行の祭祀としては、神宮祭祀、宮中三殿の祭祀、勅祭社の祭祀、陵墓祭祀、旧官国幣社・旧指定護国神社臨時祭への奉幣、延暦寺東寺での勅会執行、一部社寺への香華料・幣帛料下賜が確認できる。

歴代天皇


主要皇族

神話時代

飛鳥時代

奈良時代

平安時代

  • 伊予親王(?-807):怨霊神。桓武天皇皇子。御霊神社祭神。治定伊予親王墓
  • 万多親王(788-830):学者。桓武天皇皇子。『新撰姓氏録』を編纂。墓所不明。
  • 有員親王(生没年不詳):伝説的な神職。桓武天皇皇子。諏訪大社大祝を務めた神(みわ)氏(諏訪家)の開祖という。ただし神氏は諏訪大神の子孫ともいう。治定外有員親王墓
  • 阿保親王(792-842):平城天皇皇子。治定阿保親王墓が菩提寺の親王寺の近くにある。阿保天神社在原神社などの祭神。
  • 真如法親王(799-865?):多くの寺を開いた真言宗の入唐僧。平城天皇皇子。空海の弟子。超昇寺開山。入唐にインドに向かうが、羅越国(シンガポール周辺)で虎に襲われて死去したという。俗名は高岳親王。マレーシアのジョホールバル日本人墓地に治定外真如親王塔がある。
  • 遍昭(遍照)(816-890):天台僧。円仁円珍に師事。桓武天皇皇孫で良岑安世の子。皇族ではないが、墓は皇族扱いを受けている。元慶寺開山。花山僧正、僧正遍昭。治定遍照墓
  • 恒寂入道親王(825-884):大覚寺開山の真言僧。淳和天皇皇子。俗名は恒貞親王。入道塚陵墓参考地が墓の伝承地。
  • 聖宝(832-909):醍醐寺東大寺東南院を開いた真言僧。葛声王の王子で、天智天皇6世孫という。俗名は恒蔭王。後世、修験道当山派の開祖とされる。諡号は理源大師。鳳閣寺に治定外聖宝墓。また沓塚陵墓参考地が墓の候補地。
  • 惟喬親王(844-897):木地師の開祖とされる文徳天皇の皇子。通称は小野宮。僧名は素覚。惟喬神社大皇器地祖神社など多くの奉斎神社がある。治定惟喬親王墓
  • 高望王(生没年不詳):桓武平氏の祖。平高望。桓武天皇の皇孫で葛原親王の王子。墓所不明。
  • 斉世親王(886-927):菅原道真の娘婿。仁和寺の僧。宇多天皇皇子。真寂法親王。墓所不明。北野天満宮内の地主神社の相殿に祀られている。
  • 経基王(?-961):清和源氏の祖先神となった武将。源経基。清和天皇の皇孫で、貞純親王の王子。通称は六孫王。六孫王神社に祀られ、現在も神社の背後に墓があるという。
  • 空也(903-972):日本の浄土教の先駆者となった僧。皇族の出ともいうが不詳。市聖、市聖人。六波羅蜜寺を創建。近くの西光寺に治定外空也墓がある。
  • 寛忠(906-977):真言僧。敦固親王の王子で宇多天皇皇孫。親王の子として初の僧綱となる。禅林寺住職。寛忠僧正。池上僧都。墓所不明。
  • 寛朝(916-998):成田山新勝寺を開いた真言僧。敦実親王の子で宇多天皇皇孫。真言宗広沢流の祖。遍照寺を創建。仁和寺別当。西寺別当。東寺長者。東大寺別当。東密声明の中興。広沢大僧正、遍照寺僧正、広沢御房。墓所不明。
  • 明観(953-1021):醍醐寺座主。佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。明観僧正。墓所不明。
  • 覚源(1000-1065):醍醐寺座主。花山天皇皇子。覚源僧正。通称は宮僧正。墓所不明。
  • 深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。
  • 性信法親王(1005-1085):真言僧。三条天皇皇子。仁和寺2世。空海の再来と呼ばれる。治定外性信法親王墓
  • 覚法法親王(1092-1153):真言僧。白河天皇皇子。仁和御流の祖。高野山総持院の裏山に治定覚法親王墓がある。
  • 聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。華蔵院流の祖。仁和寺華蔵院に住す。長尾宮、華蔵院宮。 墓所不明。
  • 顕広王(1095-1180):神職。白川伯王家の祖。花山天皇の五世孫。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
  • 以仁王(1151-1180):治承寿永の乱を起こした政治家。後白河天皇の皇子。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の光明山寺の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓
  • 北陸宮(1165-1230):以仁王の王子。僧侶。諱は不明。以仁王の死後、出家して北陸に逃れるが、還俗して源義仲に奉じられる。木曽宮。富山県下新川郡朝日町に治定外北陸宮墓
  • 道尊(1175-1228):蓮華光院門跡を創建した真言僧。安井御流の祖。以仁王の王子。父の挙兵により出家させられた。東大寺別当、東寺長者、仁和寺別当。通称は安井宮御室、安井宮。墓所不明。

鎌倉時代

南北朝時代

南朝人物旧跡も参照。

室町時代

江戸時代

明治時代

  • 有栖川宮幟仁親王(1812-1886):有栖川宮8代当主。幕末に孝明天皇の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
  • 久邇宮朝彦親王(1824-1891):青蓮院門跡。天台宗僧、神職。伏見宮邦家親王の第4王子。興福寺一乗院門跡。天台座主。還俗して神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。尊応法親王、尊融法親王。
  • 久我誓円(1828-1910):善光寺大本願住職。浄土宗尼。伏見宮邦家親王の第3王女。久我通明養女。京都の華頂宮邸跡に得浄明院を創建。
  • 伏見宮文秀女王(1844-1926):円照寺門跡臨済宗尼。皇族最後の僧侶。伏見宮邦家親王の第7王女。
  • 能久親王(1847-1895):最後の輪王寺宮。天台宗僧。東武皇帝。邦家親王の第9王子。台湾神宮祭神。
  • 渋谷家教(清棲家教)(1862-1923):仏光寺26世。浄土真宗僧。伏見宮邦家親王の第15王子。のち還俗。

王権と関わる祭祀

皇霊祭祀

神社祭祀

仏教祭祀

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